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<Web ちゃっきりむし 1963年 No.1>

● 目 次
 高橋真弓:「ちゃっきりむし」発刊にあたって (No.1-1)
 井上?斑:「ちゃっきりむし」孵化す (No.1-2)
 平井剛夫:甲虫屋のひとりごと  (No.1-3)
 北条篤史:ぼくと昆虫たち(ぼくの方法論)  (No.1-4)

 ちゃっきりむし No.1-1 (1963年11月10日)

  「ちゃっきりむし」発刊にあたって 橋真弓

 わたしたちの会は,ことしで11周年になります.今までに,静岡県の昆虫―主として蝶―の分布や生態がつぎつぎにあきらかにされ,ことに蝶の分布調査では,「全国のモデル地区」とまでいわれるようになったことは,いちばん大きな成果だと思います.中でも高校生を中心とする若い熱心な会員の皆さんの活躍は,すばらしいものでした.会誌「駿河の昆虫」が年4回着実に発行され,静岡県の蝶についての「必要文献No.1」としての地位を確立することができたのも,わたしたち会員の誇りです.

 では,会のこれまでの進みかたに問題がなかったといえるでしょうか.最近の談話会での討議では,これまでの運営についてのいろいろな欠陥があきらかにされました.会誌については,「自由な討議の場をつくれ」「他の同好会誌の抄録記事をのせるようにせよ」「同好会運営その他についての論説の欄がほしい」「昆虫関係の良書を誌上で紹介せよ」「学界関係の記事を」などの重要な意見が出されましたが,このことは,今までの「駿河の昆虫」一本やりの行きかたが,すでに行き詰っていることを示しています.ではどうすればいいのか.全国の題一線に活躍する同好会のおおくは,この問題を解決するために,「会誌」とは別に,「会報」を出しています.鹿児島の「アルボ」,北九州の「WORM SHIP」,筑紫の「筑紫昆虫同好会月報」,虫団研の「はとの使い」,名古屋の「NAPI.NEWS」,京浜の「はばたき」などがそれです.

 わたくしたちの会でも,数年前会報1号および2号を発行したことがありましたが,発行のための組織がしっかりしていなかったこともあって,立ち消えになってしまいました.

 しかし,このたび,わたしたち会員の要望にこたえて,井上智雄さんが会報復刊の仕事を引きうけてくださることになりました.本当にすばらしいことだと思います.「会報を出せ」というのはやさしいが,発行の事務を担当することは,容易なことではありません.みんな原稿やニュースを提供して協力しましょう.名前は,1962年の総会できまったとおり,静岡県に因んで「ちゃっきりむし」とすることになりました.今度こそ立派な会報をみんなの手で育てていこうではありませんか.

 ちゃっきりむし No.1-2 (1963年11月10日)

  「ちゃっきりむし」孵化す 井上?斑 

 会報「ちゃっきりむし」の発行は,永井,石川両氏が引受けて下さって,そろそろ世に出ようという矢先,永井さんは徳島県へ赴任され,石川さんは冬山で遭難という思いもよらぬ不幸にあわれてしまった.「ちゃっきりむし」は孵化直前で日の目を見なかったのである.

 この夏,橋さんとお話した際,もう殻の中では幼蟲になっている「ちゃっきりむし」に談柄が落ちついて,それじゃあ是非殻を破ってやらなければと心中秘かに感じはしたが,何せ編集だの印刷だのゝ技術に自信が無い私だから,お引受けするまでには聊か躊躇した.そこで,筆耕は下手でも可い事,構成編集は私に全てまかせて頂く事,というムシのいい条件で,この会報に手をつけたのである.

 さて,こうした会誌は初めが肝腎であって,創刊号の感じを後々までマンネリで続けたり,逆に初めからの目的をそれて暴走したりしては困るから,最初に本会報の憲法を制定しておく必要があると思う.憲法といっても,以下述べる事は私が考え望んでいるだけだから,読んでよかったらいゝぞといゝ,不足した部分があったら付加え,いき過ぎていたら,やめちまえとクビにする.それでいゝ.

@ タイトルは,これを永久につぐ事.
 題字はひとの顔の様なもので,中には整形外科へ通ったりするひとがあるが,まず変えない方がいゝ。元々,このデザインは私が考案したものだから余り出来はよろしくないが,これが生まれおちた時のわが子のツラと諦らめてよくよく眺め,お見知りおき願いたいのである.馴染めば愛情が湧く.一目でそれと分るようになる.
 渋谷のハチ公の前なぞには黄昏時何十人もの待人がつっ立っているが,見ていると薄暗いのにどれも相手を間違えず,にこっとして連れだっていく.
 知る事,覚える事,それと同時に愛する事である.
多くの新聞雑誌同様に,タイトルを不変のものにしたい.

A 昆蟲界のニュース,文芸,娯楽面を内容とする.
昆蟲学は自然科学である.しかし昆蟲の詩があり,絵があり,写真あり,またはコントや漫画や小説があっていけない事はない.「昆蟲」という大きな山のこの側面を「ちゃっきりむし」は開拓し,みのりの季節には「親睦」という産物を会員に贈り度いと,私は思う.
科学記事は「駿河の昆虫」へ寄稿されたい。

B原文を尊重する.
 編集者のもとへ届いた原稿は,編集者が仮令一字一句たりとも直さない事を私は約束するし,将来編集者が代った時も,この事は厳守するよう望む.
 この文はこうした方が味があるなどと勝手に直したら,筆者が云おうとしていた事と大分違ってきたという例はいくらもあろう.つい最近も或る新聞から執筆を頼まれて小文を書いたら,活字は原稿と別の意味を報道していて憤慨した許りである.
 「原文尊重主義」は個人の人格と,言論の自由を守る.と私はいつも信じている.今までに私がしてきた編集の仕事で,原文を尊重して失敗した例はない.勿論,但し書きのつく場合,例えば明らかな誤脱だとか,採集会日時の急な変更がこの限りでない事はいうをまたない.

 以上の三つを皆さんと約束して,今日「ちゃっきりむし」を孵化させよう.もう少し経つと「原稿」という名の食草をもりもり食べるようになるから,食草不足が原因で蛹化したり死亡したりしないよう,羽化までを見守って下さる事をお願いする.

 駿河路を,郷土色豊かな「ちゃっきりむし」が飛びはねていく.羽化するその日は,屹度皐月晴れの上天気であるだろう.

 ちゃっきりむし No.1-3 (1963年11月10日)

  甲虫屋のひとりごと 平井剛夫

 おや,秋の虫がもう鳴いてらあ。甲虫、甲虫、甲虫ってなんだろう?
 甲虫とは・・・それは,造物主がよくまあこれまであきらめもせず様々なる,奇妙な,奇抜な、又時にあまりにみにくすぎてこっちをふき出させるほどのこったなりをこしらえたもんだとうならせる役者達一切がっさいのことさ.
 甲虫は・・・それは水の上水の中,土の上、土の中,空の上,空の下,花の上花の下,葉っぱの上葉っぱの下,石の上,石の下,木の上,木の中,木の下,まったくどこにもいるんだ.
 甲虫は・・・それは「こいつは良い天気だ」と花の御機嫌を伺いながらフラックベタベタとおしろいをつけた連中とはちとちがうんだ.
 甲虫とは・・・それは余りにもベラボウに種類が多すぎて名前を覚えるのが厄介のなんのったら,全く世話のやける奴達のことよ.
 甲虫には・・・かたいこうらをしょって,無格好に歩いて,時にひっくりかえったら最後,バタバタといつまでもあがいているうすのろもいるし,足をちヾめたかと思うと俯せの姿勢から突如飛び上がってスタコラ姿をくらます利口者もいる.
 甲虫には・・・それは,花の香りに酔っていい気に眠っている奴もいるし,動物が最後に落すもらいものをさも世の中でこれ程美味いものはあるもんかとパクついている全く憎めない奴もいる.
 冬のある日の甲虫屋・・・「今日,どこへ行って来たんだ.クワなんかひっかついでさ」と云われたら何と答えようか,まさか「オサムシを掘りに行って来たんだよ」なんていわれないしな.
 甲虫屋は冬でも休業するわけにはいかない,又それが楽しみの一つ.
 「寒くなってきたから,そろそろ出掛けようか」なんてなかなかいいせりふじゃあないか.
 おやもう秋の虫が鳴いてらあ.そろそろ蝶々屋さんは忙しかった夏を惜しみつつネットをたゝむんだろうなあ.

 ちゃっきりむし No.1-4 (1963年11月10日)

  ぼくと昆虫たち(ぼくの方法論) 北条篤史

 昆虫を追うものにさまざまな態度がある.その人の精神がその人の態度をきめているらしい.極度のマザー・コンプレクスは,その人間に捕虫網をもたせ自然の中へと駆りたてると云った精神分析からの話もきいたことがある.山々,渓谷で,ばったり出会った人の肩に捕虫網があったとき,その人の精神とか態度と云ったものが昆虫たちにどのようにむけられているかぼくは知らないが,たがいに笑顔になって,「何か採れました?」と問い合う瞬間が実に好きだ.山の中で全く知らない人だのに,もう何もかも安心して三角紙を拡げ合っている.友だちを自分の家に招待して,親がいるとき味わうあの固苦しさと云ったものがそこでは全く感じないのはなぜだろう。自然の中に人間がつつまれているからだろうか,ぼくにはそうではなくて,何か一個の目的,同じ目的の人間が出会ったという美しさのために余分な感情や観念が消えてしまって、二人のより真実なものが触れ合ったためではないかと思った.

 追憶というものは,かつて無意識に過ごした時間の中のその人がやってきた行動の大切さを現在に定かではないにしても投げかけるものである.ぼくが真に昆虫たちと結ばれたのはもう十数年も前の事である.あの頃,は昆虫を採りたかった.昆虫とぼくが友だちでいて欲しかった。蝉,蜻蛉,蝶といった昆虫たちを,ただ集めて過した.ぼくが昆虫たちの中で蝶に採集の対象を限り,何かしら昆虫学的な調査と云ったものを自覚した態度で昆虫たちを追いだしたのは、静岡昆虫同好会の発足によってであった.だから,ぼくの昆虫たちとの生活は全く静岡昆虫同好会と共に送ってきたわけである.蝶を追う態度が<好み>と云ったものから<調査>へと変ったのも同好会によって養われた.それはぼくの中学生時代であった.反抗がわからないながら社会への武器であった頃だったから,蝶の調査も当然,未知なものへと魂ははしった.絶対に誰れも行ったことのない場所で未知な蝶を採ることがぼくのすべてだった.例え珍らしい蝶であっても,誰が行っても沢山採れる場所であったら行かなかった.いわゆる採集案内に名を連ねる有名地が大嫌いだった.自分が本当に愛情をもって求めている蝶を,他人が行ってさんざん採ったような場所は何か不潔であったし,他人の後を追う態度を自から意気地がないと思い,妥協的だと思って必死で拒絶しつづけた.<ぼくの一番,愛するものはぼくの力で, ぼくの足で歩いて最初にぼくがみつけるのだ>と本当に寝ても覚めても思っていた.ぼくは今年の夏に始めて長野県の美ヶ原へ採集に行ったが,やはり悲しかった.自分にとって可能性のない採集というものは悲しいものだ.ぼく自信が捕虫網をもった観光客のようだった.クヂャクチョウが訪ずれる人たちのために飼ってあるのではないかと思うほど沢山いた.やはりぼくは,行った場所に蝶がみつからなくてもいいから,絶対に未知な採集地で蝶を追いたいと思う.この態度は十年前と少しも変っていない.ただあの当時の過剰な情熱が減った.それは,ぼくが社会的なものへと変って行くときどうしようもないものに思えた.つまりぼくの行動が<蝶>だけに限定しておけなくなってきたのだ.ぼくが蝶を追う精神や態度,とりわけ蝶に向ける眼が,人間にも同じように向けられるべきだと自覚したのは,二,三年前のことである.その頃は蝶から離れ,人間研究が毎日のぼくの生活だった.ぼくは本気で蝶を止めようと思っていた.そんなとき,同好会がぼくを引き止め,人間の未来への運動のようなものが同好会から感じられていた.そして,ぼくははっきりと,感じた.ぼくが十年と云間,蝶を追いつづけてきた目的は,蝶の新しい記録や新しい種類を発見することではない.そうしたものをとおして,人間研究することだと.人間の未来,ぼくの明日を美しく創るためだと.だから都会でぼくは文学する精神がそのまま,捕虫網をもって山へでかけてもあまり困らない.今ある不正なものにかえて美しいものを登場させるためには,ぼくが蝶を追うときつづけてきた,未知なものへの態度で進めばいい.これは美しいものを見つけるためと同時に,愛するものにも向けられる.ぼくが真に愛するものは,他人によってではなく全くぼくの眼,ぼくの手,ぼく自身によって見つけることが大切なのだ.

 確かに,青春の初期に暁がその人間によりかかるように昆虫たちがよりかかったとき,その人間の態度というものは決定的になると思う.昆虫採集を後に断念してもその態度は残り,人間や社会に対して向けられて行く.ぼくは最近,冬の近い街の路上で車にひかれている昆虫たちをみつけることがある。チリ紙にそっとつつんで友人のところに運ぶと,彼は「此れは,アオオサだ」と教えてくれる.もう蝶もいない街中で,そうした昆虫たちとの出会いによってぼく自身が美しい時間を体験することに,ぼくは昆虫たちに感謝する.また,みなさんは冬の山なみで峠路などに腰をおろしたとき,「ああ、ここで夏アサギマダラを見つけたっけ」などと思ってだれもいない草原でひときわ美しい想いをしたことがないだろうか.ぼくはぼくの追憶の庭の蝶たちが羽化したてのように鮮明に飛翔しているのがうれしい.またそんな追憶を,悲しい人の追憶の庭に逃がしてやることができる.

 ぼくの昆虫学,方法はそうした意味で科学的ではないかもしれない.蝶への発情には確かにロマンチシズムがあった.今は,何と云うのだろうか,文学的とでも云ったものである.今まで同好会をとおして養われた自然科学な眼に支えられた文学的な昆虫たちとぼくの関係である.ぼくは,昆虫たちを通して自然に参加したいと思っている.それは人間に参加する道に通じると思う.ぼくは蝶を追っているときふと思う.人間は自然を前に孤独と云ったものは得られないのではないか,蝶の存在を思っている人間がいる以上は.孤獨といったものは,誰にも考えてもらえなくなったときに感じるものではないだろうか.例えば,フランスの詩人がうたうように,

 しかし,星は思ふ.
 私は糸の端で顫へてゐる.
 もし誰れも私を考えなくなれば,
 私は存在しなくなる.

 誰にも見られない時,
 海はもう海ではない.
 誰にも見られない時,
 僕らがなるやうに.

そして,誰にも見られない時,昆虫はもう昆虫ではなくなってしまう.そんな怖しいことがないために,ぼくは昆虫たちを見つめてやらなければならない.ぼくとぼくの昆虫たち.それはとりもなおさず,人間たちとその昆虫たちなのだ.蝶を愛するぼくが憎むのは寄生蜂や寒い気候ではない.蝶を根こそぎに採ろうとする人間と,それを売る人間たち、もう奴隷の時代は終わるべきなのに,奴隷のように昆虫たちを追う人間だ.