静昆 ホーム 紹介 会誌 ちゃっきりむし 掲示板 リンク

<Web ちゃっきりむし 1978年 No.34〜37>

● 目 次
 池田二三:駿河の昆虫100号発行を迎えて (No.34)
 北条篤史:分布調査について (No.35)
 清 邦彦:静岡県周辺の蝶・謎の記録 1―市之瀬のヒョウモンモドキ― (No.36)
 鈴木英文:静岡県周辺の蝶・謎の記録 2―興津川のウスバシロチョウ― (No.37)

 ちゃっきりむし No.34(1978年3月31日)

  駿河の昆虫100号発行を迎えて 池田二三

 今回,駿河の昆虫は100号の発行を達成しました.1953年(昭和28年)に1号を発行して以来,25年間,年4回発行のペースを守りぬいた地道な努力の積み重ねが,100号発行の偉業を成したと考えます.

 25周年100号を迎えて,記念行事を立案する中でいくつかの案が出ましたが,我々は駿河の昆虫を通して会員相互が有形無形により強く結びついていることを考え,何等かの形で記念号を発行して会員諸氏がお互いに等しくこの喜びを分かちあえることを計画しました.そこで,今まで会の歩いてきた道程をふり返り,成果、反省点,問題点,将来の展望などを含めてまとめてみることも意義あることではないかと考え,各分野ごとに綜説として100号記念号にまとめてみました.

 これまでに,駿河の昆虫に掲載された資料は,郷土をフィールドとして足でかせいだ科学的根拠をもつ資料であり,その発行に至る過程が郷土の昆虫研究の歴史を形作っているものでありましょう.我々は会員としてここに大きな誇りを持つとともに,反面,多くの点を反省して次への飛躍を図りたいと思います.

 会として100号に至る歴史をふり返れば,運営は必ずしも順風満帆とはいえず,会員の確保,会費の値上げ,原稿の依頼と,他の会と同様の悩みが常につきまとっていますが,その都度会員相互の絶大な協力によって健全な運営が計られていることは,本会の組織の固さを表わすものと考えます.しかし,本会にも真剣に考えなければならない弱点がでてきています.それは,若年層の特に中高生の会員が少ないことで,将来の会の発展を考えた場合,必ずしも良い傾向とは申せません.会として若い後継者の勧誘を図る一方,若い方が会の運営に積極的に参加し,新風を吹き込んでくれるような環境を作っていくことが,今後の会の課題といえましょう.そして,200号の発行に向けて各会員が限りない努力を続けていくことを希望します.

 ちゃっきりむし No.35(1978年7月31日)

  分布調査について 北条篤史

 当会発足から十余年という時期は,静岡県の蝶類分布調査の黄金時代であった.外部から静昆はすごい分布屋の集団だといわれた頃である.最近は分布調査の勢力が低下してきたように思われるので,分布調査について再考してみたいと思う.私の経験から分布調査には二通りの方法があると思う.一つはまったくの未調査地域にどんな蝶が分布しているかその地域を一年を通してひとつひとつ調査し,その地域の分布を解明してゆく方法である.この方法で成果を上げた代表的な地域として,赤石山脈,富士山,御坂山地などがあげられる.

 二つめの方法は,自分でテーマとして取り上げた種が静岡県においてどのような分布をしているか,有望地域を調査する方法で,ギフチョウ,ウスバシロチョウ,クロコノマチョウなどの調査に大きな成果をあげている.

 私自身は前者の方法が好きである.未調査地域の調査では,いったいどんな蝶が分布するのか,未知に対して胸をおどらせたものである.最近では蝶の採集家が増したにもかかわらず,分布調査の本格的な報告が少ない.分布調査というものは,珍品美麗種採集と本質的に違う忍耐を要する自然科学の行動の一つであると思う.かつての当会の分布解明期の会員の行動には,郷土の蝶についての問題を解明しようとする熱い意志と団結があった.今日そうした姿勢がうすらいだとは思わないが,最初からそうした調査を知らない採集家が増えたことは事実である.とくにヒサマツミドリシジミの食樹発見以後顕著である.私はヒサマツミドリシジミの食樹発見は蝶類界のオイルショックであると考えている.これを契機に誰もが簡単に珍品美麗種の卵や成虫を採りに行く傾向が強くなった.もう静岡では分布調査をする場所がなくなったと考えるべきではない.まだ未調査地域は山積みされている.生態調査と合わせた分布調査をじっくり行いたいと思っている.そのために普通種の調査と普通地域の調査を語りあう機会をつくり,仲間をひろげていきたいと考えている.

 ちゃっきりむし No.36(1978年8月31日)

  静岡県周辺の蝶・謎の記録 1
    ―市之瀬のヒョウモンモドキ― 清 邦彦

 私が県立富士高校に在学中,生物部の標本の中に1頭のヒョウモンモドキがあった.ヒョウモンモドキは静岡県未記録であり,山梨県でも比較的まれな蝶で,その南限は甲府盆地南側の四尾連湖周辺となっている.ところがこの標本のラベルは「採集地 Ichinose,採集者 Ohasi,昭和34年6月14日」となっていたのである.イチノセとはどこだろう.国鉄身延線の下部駅の2つ先に「市ノ瀬」という小さな無人駅がある.5万分の1の地図を見ると,「市之瀬」という地名が目についた.もしそうならこれは山梨県の南限,静岡に最も近い記録ということになる.

 富士高生物部の部誌「すいれん」22号の「1959年蝶採集と採集記録」という報文の中に「毛無山付近1959年6月14日」としてヒョウモンモドキの名があげられている.毛無山というのは富士宮市と下部町の境にある標高1946mの山であるが,日付が同じことからして,この標本をさしているものと思われる.だがこの報文には5月17日にも富士宮市の天子ヶ岳でヒョウモンモドキが採れたことになっており,同定に疑問が残る.なにしろこの頃の「すいれん」には富士宮市のルーミスシジミやアカマダラの記録があったりして,信用を落としている.それに,毛無山からの下山ルートは湯ノ奥から下部駅に通じており,市之瀬へのルートはない.

 同定の問題については私だけでなく,富士宮市の小林国彦氏もはっきり標本を覚えているのでまちがいはなさそうであるが,問題は下山ルートである.小林氏が在校中に採集者の大橋氏に直接聞いた話では,下山路を間違え,毛無山から北西にのびる尾根を下山したとのことであった.しかしこの尾根は甲斐常葉駅へとのびており、市之瀬に出るにはもう一つ低い山を越さねばならない.わざわざそのようなことをするだろうか.古い地図をながめてみると,栃代川へ下山し,大炊平から峠を越えるというルートなら考えられなくはない.

 直接本人に話しを聞けばわかるだろう.さっそく当時の部員名簿から姓名と卒業年度を調べ,実家に帰った折に同窓会名簿をひろげてみた。しかし大橋勝之氏の住所は空欄となっていた.

 問題の標本をあらためて確認したい気持になり,十数年ぶりに母校を訪れてみた.生物部の後藤先生のご好意で標本箱を調べさせていただいたが,蝶の研究をやる生徒がいなくなったクラブの標本は無惨であった.粉となった標本の中からせめて翅の一部でもとさがしたが,見覚えのあるラベルが他の蝶の針にささっているのが見つかっただけであった.

 ちゃっきりむし No.37(1978年11月30日)

  静岡県周辺の蝶・謎の記録 2 
    ―興津川のウスバシロチョウ― 鈴木英文

 「興津川でウスバシロチョウをいっぱい採ったよ.雨が降っていて,飛べないのを手づかみにして,手帳にはさんで持って来た.」私がまだ中学生のころ,採集に行った先で一緒になった,高校生のお兄さんが自慢げに話したのを覚えている.

 私が高校に入学すると,その生物部では細々とではあるが,興津川の調査を続けており,先輩は部員を集めては,興津川でオオムラサキを見たとか,ミヤマシジミの雌雄型を採ったとかいった話とともに,ウスバシロチョウが採れているそうだ,という半分伝説じみた話もしてくれた.そして2年後,こんどは私が新入部員にホラを吹く番になった.何人かの一・二年の部員の前で,こんなことをしゃべった記憶がある.

 「安倍川水系にはウスバシロの多産地が多いのに,山一つ隔てた興津川にはこれといった公式の記録はない.わずかに真富士山頂と,竜爪山の北側の穂積神社から富士見峠の間に記録されているだけである.そしてこれらは安倍川水系の集団がちょっとはみ出したにすぎないと見られ,そのため興津川にウスバシロはいないのではないか,といわれているのである.しかし穂積神社から富士見峠までの間は,興津川の支流,黒川の源流にあたり,ここのものがもっと下流まで生息していることは十分に考えられるし,真富士山の記録にしろ,安倍川側の斜面や山麓の平野では採れていないので,興津川の斜面で発生している可能性は大きい.」

 この年のウスバシロのシーズンが過ぎ,6月の文化祭の準備が忙しくなったころ,先日の話を聞いていた新入部員の一人が1頭の蝶を持って来た.先日興津川で採った蝶が,この間の話に出たウスバシロだと思うが,ウスバシロは今まで採ったことがないので見てくれないか,ということだった.新鮮ではないものの,比較的程度のよいその蝶は,まぎれもないウスバシロ.場所は興津川の支流,布沢川の中ほどであるという.この布沢川は,かつてのギフチョウの産地であった高山の北側を流れ,土村で興津川と合流する.さっそく来年のシーズンに思いをはせたのだが,翌年4月に上京してしまった私には,確認調査ができずに終ってしまった.

 かくして十年が過ぎ,今年の5月,暇を見ては興津川に出かけた私は,布沢,黒川,貝伏,寺社畑,河内と地図で見るかぎりウスバシロのいそうな場所をまわってみた.しかし結局だめであった.何度目かの調査の帰り,白いフジの花のまわりを飛びまわっている痛んだトラフシジミが,今年のウスバシロのシーズンはもう終りだ,と告げていた.