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<Web ちゃっきりむし 1990年 No.83〜86>

● 目 次
 細田昭博:磐田市桶ヶ谷沼の現状 (No.83)
 高橋真弓:引佐町の「ギフチョウ保護条例」の施行について (No.84)
 清 邦彦:アサギマダラ マーキング あれこれ (No.85)
 平井克男:ボルネオ見て歩き (No.86)

 ちゃっきりむし No.83 (1990年3月1日)

  磐田市桶ヶ谷沼の現状  細田昭博 

 桶ヶ谷沼は静岡県岩井にある周囲1.7km,総面積約13haの淡水性の池沼です.私がこの沼に目を向けるようになったのは,地元磐田市の中学に通っていた1964年からです.父に隣接の鶴ヶ池に連れて行ってもらった折,この桶ヶ谷沼を見て興味をひかれたのがきっかけです.以来,友人も誘って,この沼の動・植物相調査を継続する中で,特に,トンボが豊富に産する沼であることが明らかになりました.1970年からは野路会(のみちのかい)の共同研究として継続して研究を行なっています.また,この間,静岡昆虫同好会の方々の協力もいただき,調査活動を行なう一方,保護運動も併せて行ない現在に至っています.

 桶ヶ谷沼の水源は,この沼と鶴ヶ池の間にある山からの湧き水と,磐田原台地からの表面水でまかなわれ,水位は安定しています.また,沼の周囲には農林地や宅地が少ないため,農薬,肥料,家庭からの雑排水は入らず水質は良好に保たれています.このように静岡県の平野部では自然環境が奇跡的に良好に温存されている沼のため,水中,水面にはマコモ,ヨシ,オニバス,ヒシ,タヌキモ等の水生植物が繁茂し,水生昆虫,水生動物も多く,例をあげればベッコウトンボ,ヨツボシトンボ,フタスジサナエ,マルタンヤンマ,ベニイトトンボ等のトンボ類,タイコウチ,コバンムシ,コオイムシ,オオミズスマシ,等の水生カメムシ類,オオタニシ,カワバタモロコ等が数多く生息しています.特に"トンボの桶ヶ谷沼"といわれるようにトンボは,これまでに64種が記録されています.

 また,この桶ヶ谷沼は,ベッコウトンボの日本唯一の産地として有名です.烏でいえばトキに相当する価値の高いこのトンボは,この度,IUCN(国際自然保護連合:111ヶ国参加)のレッドデータブックに載り,WWFG(世界自然保護基金日本委員会)もベッコウトンボの保護に援助の手をのばしています.1989年12月20日発表の,環境庁の「緊急に保護を要する動植物の種の選定調査(レッドデータブック)にも絶滅危惧種として掲載されました.この貴重なトンボを日本人はいかに守っていくのだろうか,と今後は世界の目が集まることは必至でしょう.

 沼の周囲の植生は,草原,二次林,極相林がモザイク状の配列になっています.ここは,ベッコウトンボを始めとする多くのトンボ類の生活場所や餌の供給地となっている他に,多くの動・植物を函養している場所にもなっていますが,トンボは池だけを守れば良いのではないか,沼の周囲はハイキングコースを作ってみんなに開放しろという声が大きく,環境全休を温存していこうとする我々の主張がともすれば抹殺されようとしているのが現状でもあります.

 沼の保護に関するこれまでの歴史的経過をほぼ5年単位で考えてみると,次のようになります.
1964年〜
 私や友人が沼の動植物相の科学的調査を開始しました.一方,沼周囲の林が伐採され始めました.
1970年〜
 沼の総合学術調査を磐田市教育委員会から野路会に依頼され,それを実施し,平地性の沼湖としては最も学術的価値が高いことを報告したが,無視され沼の中央部は埋め立てられてしまいました.
1975年〜
 県知事,磐田市長へ沼を保全するように要望しました.ところが,沼の南東側の休耕田も埋め立てられてしまいました.
1980年〜
 マスコミに全面協力し,NHK自然のアルバム,NHK特集,日本動物記,サンリオ映画「小さな沼の物語」等を作成し,全国に広く桶ヶ谷沼の自然をPRし,保護運動を啓蒙しました.しかし,この間も,北側の山の土石採取がなされ,北側の沼は枯れ上がり,赤土は露出して景観を損なってしまいました.
1985年〜
 桶ヶ谷沼を考える会が発足し,ナショナルトラスト運動が開始されました.桶ヶ谷沼ガイドブックも発行され,取り組みは地域運動となっていきました.その中で,沼の南西側台地上のゴルフ練習場計画を県が許可しました.
1989年
 県は桶ヶ谷沼に約20億円の予算をつけて保全にのりだし,沼及び周囲約60haの用地買収を始めました.その中で沼を斎藤県知事が視察され,私が案内をかってでたところ,知事は,「沼に手をつけるな,このまま自然状態で残せ.沼べりに入ると環境が壊れるから遠くから望めるようにし,トンボ博物館で全種見せればよい.沼は地元の研究者の手でこれからも守ってほしい.」と激励してくださいました.

 このように,20年前は誰からも価値を認められず,行政当局はなし崩し的に沼の周囲の開発を許可し,まさに沼が危機的状態に陥った時,斎藤知事の大英断によりこの沼が保護されるという劇的な結果になったことは喜ばしい限りです.

 さて,桶ヶ谷沼の今後は,ベッコウトンボの保護を目的とした自然環境保全地域として保護されるべきです.そのためには
 1.水面域を確保すること.
 2.水質の保持をはかること.
 3.水位の維持を図るため水源函養林を確保すること.
 4.周囲の植生環境を現状のまま温存すること,が重要な事項となろう.

そのほかに,
 1.一般の人々や青少年の自然教育活動のための観察道路や観察施設の設置計画は詳細な調査を実施してから行うこと.
 2.沼から離れた南側にトンボ博物館をつくること.
 3.桶ヶ谷沼の隣接の鶴ヶ池は,桶ヶ谷沼同様に生物相の宝庫である,復元して効率的な活用をすべきであるが,安易なリソート化,観光公園にすべきではない.
と考えます.

 しかし現在県自然保護課がすすめている桶ヶ谷沼の対策は,ベッコウトンボの価値を全然理解してない,また,県知事の意向に沿ったものとは言えず,単なる公園化構想です.県が確保した約6 0haにはベッコウトンボの生活場所,水源となる山,トンボ博物館用地等は入っていませんし,保全区域内に舗装道路,観察路,最悪の場合は施設をつくろうとしています.

 このように,このベッコウトンボを今後守っていく上に,早くも大きな困難な問題が持ち上がっていますので,広くムシ屋一同がこの問題に大いなる関心を持ち,絶滅の惨状が到来しないように,保護運動にも御参加下さることをお願い致します.          (朝日新聞より;編集者)

 ちゃっきりむし No.84 (1990年5月14日)

  引佐町の「ギフチョウ保護条例」の施行について  高橋真弓 

 新聞やテレビなどで報道されたとおり,3月5日から引佐町でギフチョウの「保護条例」と「規則」が施行されることになりました.その内容は「ちゃっきりむし」の本号でも紹介されています.  これについて,私は3月10日付で静岡昆虫同好会代表と日本鱗翅学会理事の立場からの意見を,同町企画課長あてに提出しました.

 近年,全国的に町村単位で「OOチョウ保護条例」が制定されることが多くなりましたが,静岡県ではこれがはじめてのことです.

 ギフチョウとその生息地を守りたい,ということは,日本の蝶類愛好者すべての願いです.ではギフチョウは採集禁止だけで守れるでしょうか.ほんの少しでも蝶の生活を知っている人なら,それは机上の空論であることをたやすく見抜いてしまうでしょう.

 ギフチョウの生息地の大部分は原生林ではなく,適当に人為作用(伐採,草刈りなど)が加わった二次林です.したがって,このような人為作用が行われなくなったらこの蝶は採集されなくても必ず絶滅します.

 ギフチョウは,'60年代まで清水市から庵原郡下の低山地にかけて広く分布していましたが,密植されたスキーヒノキが成長して鬱蒼とした密林を形成したことにより,生活の場を失って,'70年代に多くの生息地が相ついで絶滅し,現在この地域にはほとんど見られなくなってしまいました.'50〜60年代には,この地域でおもに中・高校生によりおびただしい個体が採集されていましたが,毎年個体数が減少することはなく,たくさんの個体を見ることができたものでした.したがって,ギフチョウを絶滅に追いやるものは採集行為そのものではなく,環境の破壊,すなわちスギ・ヒノキの密植と間伐をせずに放置した森林管理であるといえます.

 引佐町でギフチョウの生息地となっているカレ山は,もともと蛇紋岩質の山で樹木が生育しにくく,生息地として適したところですが,適当に草刈りやネザサの除去など,生息地を十分に管理していく必要があるでしょう.それに周辺のスギ・ヒノキ林の間伐をすすめ,生息地を融通性のあるものにしておく必要もあります.伊豆大室山のオオウラギンヒョウモンのように,狭い生息地の草原が保護されても,周囲の環境が悪くなると絶滅してしまうおそれがあるからです.

 私自身はこのような条例は不必要で無意味なものであると考えていますが,当面[種指定]ではなく,「地域指定」という立場から運用してほしいものだと思っています.周囲のスギ・ヒノキ林は私有林ということで町当局の指導は難しい面もあるようですが,生息環境の保護という意味からも,ぜひ十分な間伐をするよう,地主の人たちにも働きかけてほしいものです.

引佐町のギフチョウ保護条例について
 静岡県引佐郡引佐町では,平成2年2月,ギフチョウを町指定天然記念物に指定するとともに,同年3月5日保護条例を可決,制定し,即施行されました.高橋総務幹事および清は,同町企画課長に保護のあり方について文書で意見を伝えましたところこのたび条例の写しを頂きましたので,その一部を掲載致します.

 引佐町ギフチョウの保護に関する条例
第1条 この条例は,引佐町文化財保護条例(昭和53年引佐町条例第6号)第32条第1項の規定に基づき,引佐町指定天然記念物に指定したギフチョウ(平成2年2月22日引佐町教育委員会告示第14号.以下「チョウ」という.)が文化的,学術的な価値を有し,かつ,現在及び将来の町民に潤いを与えるかけがえのない資産であることにかんがみ,引佐町(以下「町」という.)及び町民等が一体となってその保護を図り,もって将来の町民に貴重な文化財として継承することを目的とする.※町民等:旅行者,滞在者を含む
第6条 何人もチョウを採取し,またき損してはならない.但し,引佐町長(以下「町長」という.)が次の各号の一に該当すると認めて許可したときはこの限りではない.
(1)学術又は文化等の研究のため必要とするとき.
(2)小学校,中学校,高等学校及び大学等の教育研究機関がその目的達成のため必要とするとき.
(3)その他特に町長が必要と認めたとき.
第8条 第6条の許可を受けずにチョウを採取し,又はき損したものは,5万円以下の罰金又は科料に処する.

引佐町ギフチョウの保護に関する規則
第7条 保護監視員は常に町内のギフチョウを保護するため,棲息状況の把握と保護対策に努めるとともに,無許可採取しようとするものを発見した場合は,趣旨を説明し指導にあたる.無許可採取者を発見した場合は,趣旨を説明し指導にあたるとともに,条例第8条及び第9条に定める違反者の住所又は居所,氏名,違反内容等を町長に報告し,緊急の場合には警察に通報するものとする.
※条例第9条は,行為者に指示をした法人,人にも適用するといった内容.また,許可申請は3日前までだが,朝日新聞によれば,当面例外は認めない考えとのこと.

 また,企画課長より,清に対し返事を頂きました.一部(「 」内)を掲載します.
「さて,今回の条例制定については,数年前からギフチョウのマニアが遠隔地から訪れ,わたしたちが大切にしている地域に入り込みギフチョウやヒメカンアオイ等の去取が著しく,地元の人々の呼び掛けにも耳を貸さない悪質なものが目立ち始め,対応に困った地元の人だちからの声が反映したものです.こうなった原因は,当該地がマニア向けの雑誌の中の『ギフチョウ88箇所巡り』に掲載されてしまったためで,心無い,地域を無視した記事の掲載・出版及びマニアに対して憤慨しています.」

 「今回ギフチョウの棲息地として話題になっているところはこうしたところ(※天然林)のひとつで,昭和49年に優れた天然林で地質が特異,かつ動植物の棲息地であること等により静岡県自然環境保全地域に指定され,現在及び未来において各種の開発行為が制限されており,ギフチョウについてはマニアによる乱獲以外に絶滅する要因が考えられないところです.」

 「『種』か『地域』かと天然記念物指定の内容について議論されているようですが,当町においては管内どこに棲息していようが,ギフチョウを町民の財産として保護していきます.」

 保護のあり方の他,事前に昆虫関係者に意見を求めなかったこと,周知徹底に要する十分な期間を設けなかったことなど,問題ですが,条例制定に到った理由については昆虫関係者も十分知っておくべきだと思います.(清)

 ちゃっきりむし No.85 (1990年8月27日)

  アサギマダラ マーキング あれこれ 清 邦彦

7973騒動記
 1989年10月中旬,高橋さんから電話がありました.「掛川市で7973−47とマークされたアサギマダラが見つかった.心当りはないか」というものでした.まず思ったのは,47は個体番号だろうということ.さて7973は? 四桁だから…自動車のナンバーだろうか? 翌日そのことばかり考えていたら,突然ひらめきました.環境庁が「緑の国勢調査」で使っていた五万分の一の地図と同じ桁数ではないか(例えば静岡市は5238−33),わかった,わかったと,風呂上がりのアルキメデスのような気持ちで家に急いで帰り,地図を広げたのだが,この数字だとどうも北極あたりでマークされたことになってしまう…….

 高橋さんは,7973でピンと来たのが,鈴木英文さんの電話番号,そこで清水市の46-7973に電話したのですが,違うとのこと.考えてみれば鈴木さんは,早春から初夏までは活発に活動するけれど,夏あたりからは姿を見せず休眠状態になってしまうとうわさされる,ヒオドシチョウみたいな人なので,このシーズンは野外には出ていないんじゃないでしょうか.そこでためしに静岡市の47−7973に恐る恐る電話したら,井川峠で一緒にマーキングした天野市郎さんの家だった,ということでめでたく「駿河の昆虫」150号の報文となったしだいです.写真でおわかりのように,数字を逆さに見たので順が入れ違ったわけでした.

 さて,その後諏訪哲夫さんは島田市の千葉山でマークのあるアサギマダラを発見,階段に止まったところをよく見ると,これも「47−7973」! 興奮を押さえながら素手で採集,やったやったと叫びながら家に急ぎ,天野さんに電話したら「そのあとに25と書いてあるなら,25日に千葉山で放したものですよ」.こちらは報文にはなりませんでした.

マークは @誰が Aどこで Bそして無欲に ところでアサギマダラのはねには何を書いたらよいのか.
 まず,よくある個体番号は,書く時は簡単で良いが,再捕した側にとっては無意味.一番大切なことは「誰が」である.有名人か珍しい名前ならイニシャルや名字などでよいが,「せい」では名字とは思ってくれないだろうし,「お電話下さい マユミ」では誤解する人もあろう(実際電話帳を見ていたずら電話して来る人がいるそうです,誰ですか,やめなさいヨ).市外局番まで入れた電話番号を書くか,略号なら鹿児島県立博物館に届けておくこと.今回だって,県外で発見されてたら「FKI-003」みたいに全国指名手配ものでした.天野さんの話では,まず再捕獲されることもないだろうと,マークは簡単にしか書かなかったそうです.そう言えばFKI-003もそうでしたが,こういう無欲な人に当たるんですね,宝くじも.

 つぎに,諏訪さんの悲劇を繰り返さないためにも,放した場所も必要.同じ場所での再捕獲はよくあります.なるべく有名な地名がよいでしょう.日付や細かい場所は放した人が分かっていれば無くてもよいわけです.わざわざはねに♂♀の区別まで記人してる人はいませんよね.また,145号P4175に「恥入る」などと書かなくてもよいように,両方のはねに同じことを書くとよいでしょう.新兵器は開発できるか

 マーキングの方法ですが,黒の油性サインペン.赤で書いてもそれほど目立ちませんでした.シールなら前もって細かく書いておけるし,遠くからでもマーク個体だとわかるからと,紙,蛍光シール,ビニールシール,新素材ユポの4種類を買ってはねに貼り,窓際にぶら下げたり,霧吹きで毎日水をかけたり,最後は水の中につけ,その後半年間部屋に放り出して,耐久試験を行ないました.結果は「ユポ」が1番,でも人手しやすさのことも考えれば,紙でも十分,ただし貼る所は鱗粉の少ないアサギ色の部分に限ります.続いて実用試験.春,羽化したアサギマダラに貼って放しました.重そうでうまく飛んでくれず,翌日再捕獲されましたが,移動距離は,東北東に5m.これも報文にはならず.最後は実践,井川峠で,できるだけ小さなシールにして放したところ,飛ぶには飛びますが,上に登らず皆井川湖の方に下って行ってしまいました.やっぱり重すぎるのかなあ.お店で使う印刷されたセロテープのようなものを作ってはどうでしょうか.

 諏訪さんは今,はねの先に赤いスプレー塗料を吹き付ければ,よく目立つはずだと「ツマベニアサギマダラ」をつくることを研究中です.でもこれ,やりすぎると左手が真っ赤になっちゃうんですね.

 ちゃっきりむし No.86 (1990年12月10日)

  ボルネオ見て歩き 平井克男

 私にとって始めての熱帯アジアでの採集調査が出来るチャンスがあり,6月11日から6月18日の8日間,ボルネオ島ケニンガウ地区へ行くことができた.丁度雨期の真只中,発電機持参でライトトラップによる採集を試みたが,成果はあまり芳しくなかった.最近話題になっている熱帯雨林の伐採はかなり進んでいて伐採された樹木で二抱えも三抱えもある丸太を10数本積んだトラックが林道を何台も何台も通りすぎて行くのに出会う.トラックはすべて日本製である.これらの材木のほとんどが日本へ輸出されていると聞いた.我々が行った林道のまわりもほとんど二次林が多く,いわゆるジャングルといったおもむきはあまりない.ジャングルとして残されている森林の多くは,現在国立公園となっている場所で,そこでは伐採が禁止されている.今日の日本経済のスピードを思う時,ボルネオの自然がいつまで残されているかと,複雑な気持ちになる.

 成田から飛び立ち到着したコタキナバルはかなり大きな町で,ビルも立ち並んでいる.町中を走っている車は99%が日本車であり,交通ルールも人は右,車は左で日本と全く同じである.運転マナーは日本より良いように思われる.パチンコ店とかカラオケバーも日本から輸出?されたのか何軒か見かけられた.

 ケニンガウではキムジさんにいろいろお世話になる.ケニンガウは木材の集散地として発展した町でこのあたりでは大きな町である.キムジさんの家はここから車で一時間ほど林道を走った山奥で,周囲がコーヒーの段々畑となっている所にある.約50戸くらいの木造の家が立ち並んでいる.ガラス窓はなく,電気,電話などもない.

 この集落には虫を採集して生計?を立てている人がいるらしく,我々を見かけると標本を持って売りこみに集まってくる.日本人から教えられたのか,きちんと展足された甲虫がタトウ紙に整然と並んでいるのにびっくりさせられる.当然の如くタトウ紙にマレーシアトルで価格の表示がされている.貴重な現金収入となるので売り込みに必死である.平均4人家族で1ヶ月日本円で1万円(約170マレーシアドル)もあれば十分生活していけるという.

 甲虫の中でもクワガタやカミキリムシの大型美麗種とか,採集のできにくいものは相当高価である.今回は採集での成果があまり見込めそうにないので渋々ひととおりの甲虫を買うことにする.値切るのも一苦労である.デパート勤めの私にはやりにくい.ゴミムシダマシ,ゾウムシ,ゴミムシなど地味であまり高価でないものを数多く買うことにした.この売り込みは一回限りでなく我々が欲している甲虫は何なのかを的確につかみ,これでもかと我々のところへ連日やってくる.

 ケニンガウの町から一時間くらい車で走ったところにブンシットという部落かある.川が流れ,公園として整備されている場所があって有名なチョウの採集地で,カルナルリモンアゲハなどが舞っているようである.ここで採集していたら,年配の元村長氏が分厚いノート一冊を手にして現われ,なまりのある日本語で「日本人よくきた! 日本人友達!」と我々に話かけて来た.ノートの中味はマレーシア語と日本語が書いてあるらしく本人の手控えノートで,今なお日本語を勉強しているとのことであった.

 しばらく歓談した後,彼の家に招かれ,現地の地酒"タパイ"を振る舞われここちよく酔ってしまった.酒はかめに入っていてその前に小さな低い椅子があってそこに腰をおろしストローで酒を飲む,前につまみのトリ肉?がおいてある.およそコップ一杯分くらい飲んだところで次の人に交代する.その時飲んだ量のコップ一杯分の水をかめの横に置いてあるバケツから水をすくって補充する.そして全員が一巡すると又次の一巡に入っていくということであった.あげくの果て元村長が一曲歌った.驚いたことに日本の軍歌であった.我々もこれに答えて何曲かの日本のナツメロを歌って親善の役を果した.