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<Webちゃっきりむし 1995年 No.103〜106>

● 目 次
 枝 恵太郎:高山蛾採集記 (No.103)
 高橋真弓:県立自然史博物館設立への協力について (No.104)
 大石昌之:シルクロードを行く (No.105)
 清 邦彦:ちゃっきりむしの送り方 (No.106)

 ちゃっきりむし No.103 (1995年3月7日)

  高山蛾採集記 枝 恵太郎

 南アルプスにおける高山蛾の狙いはズバリ,過去に数例しか記録のないアトジロアルプスヤガとキタダケヨトウである.前者は北岳白根御池など(近年富士山で記録されたが),後者は北岳付近のみで数頭採集されている.アトジロアルプスヤガとその近縁種は非常に美しく,モノトーン調の斑紋は玄人好みといえよう.キタダケヨトウはというと,最近同種とされるフランス産の標本を入手したが,図鑑のイメージとは全く異なり,これもまた,たいへん品のあるヨトウなのである.

 1994年7月中旬,私たち3人は北岳に的を絞り,とりあえず白根御池小屋までの下見と,同時に本番に備えて発電機を含む採集道具の荷揚げを行なった.登る前は,分担した荷物の量に不安を覚えたが,とりあえず皆に遅れずついていくことができてホッとした.その日は,小屋の御主人の好意で商売道具一式をデポさせて頂いたうえ,夕食およびウイスキーまでご馳走になってしまった.寝る場所まで用意された私たちは,本番の採集へ向けての手応えを感じながら夜を過ごしたのである.翌日は,モンクロキイロナミシャク,クモマベニヒカゲに見送られながらの下山となった.

 下見から帰ってきてから1週間が過ぎ,採集許可証を申請しておいた環境庁へ連絡したところ,書類は各県から出揃ったのですぐに許可証を交付をするとの返事.2回目の本番は7月29日からを予定しており,今度は4人でもう1台発電機を荷揚げし,計2台のナイターセットという万全な体制で臨むこととなった3日前に,環境庁から電話があった.嫌な予感.環境庁「実は,A県からの書類がまだきてなくて,今催促していますのでもう少し待ってください…」.

 結局,二手にわかれ,後発の私とIさんが許可証が手に入り次第,先発隊を追いかけることになった.やきもきする数日の後に,私たちはなんとか1日遅れで入山することができたのである(許可証はファックス交付!).

 当日,待ち合わせ場所の白根御池に着くまでがなんと遠かったことか.もし,先に登った2人に,「もうとっちゃったもんね〜ホラホラ」なんてアトジロもしくはキタダケヨトウを見せられたら,その場で高山病にかかって倒れてしまうだろうな,なんて考えながらひたすら登ったのである.御池に到着すると,2人の顔色を伺いながら昨夜のことを間くと,どうも雨と風でさんざんな目にあったらしいことがわかった.

 その晩は御池にて,2チームに別れ万全な体制でナイターに臨んだのである.ところがさあ採るぞと意気込んでいた矢先,突如私の耳になにか得体の知れない虫が入ってしまった.隣で採集しているSさんに見てもらったがよくわからないと言う.しかし,虫が暴れる度に耳が破裂しそうになり,まるでお経をよまれる孫悟空状態になった.なんとか殺そうと思い,毒ビンを耳に押しつけていたら,自分が気持ち悪くなってしまった.

 そこで無線で別チームのKさんに事情を話したところ,薬を持って来てくれるとのこと(Kさんは医者である).その間,苦しがっている私を横目にSさんは「これで耳からアトジロとかキタダケが出てくれば武勇談になるのにな〜」などといいながら,幕にきた虫を毒ビンに蓄積させていったのである.

 そのうちKさんがやってきたが,薬だと言って持ってきたのは何とウイスキー.これを耳に入れて殺せば良いとのこと.さっそく注射器で耳に注入してもらった.しばらくしてから,水泳のとき耳に水が入ったのを出す要領で片足で跳ねた.なぜかふらつく.今度は洗浄するということで水を注入し,また立ち上がった途端に転んでしまった.Kさんいわく「冷たい水が耳に入ると三半規管が麻痺してしまうからだ」とのこと.このような,ためになる話を私は地面にはいつくばりながらボーっと聞いていた.その晩印象に残ったものとしてはアルプスクロヨトウ,クモマウスグロヤガ,コグレヨトウ,シロオビハイイロヤガなどがあげられるが,特に骨のあるものは飛来しなかったようである.

 翌日は北岳,肩の小屋へ全荷物を背負って移動.肩の小屋では水不足が深刻で,雨水をろ過したものを使っているようだが,この水が非常にまずかった.夜間採集は,肩の小屋から少しくだった小太郎尾根とその反対斜面にセットし,北岳に向かって祈りを捧げた.
 しかし期待とは裏腹に,蛾の数は少ないものであった.当然,狙いの2種も飛来しなかったが,御池では採れなかったアルプスヤガ,ホッキョクモンヤガ,ダイセツヤガなどのいわゆる「正しい」高山蛾が,ひとりあたり1〜数頭採集できたため,私たちは翌日ホクホク顔で北岳をあとにしたのであった.

 ちゃっきりむし No.104 (1995年7月17日)

  県立自然史博物館設立への協力について 高橋真弓

 近年全国の自治体によって自然史博物館が相ついで設立され,兵庫県,千葉県などに続いて,おとなりの神奈川県でも,「生命の星・地球博物館」という名の自然史博物館が間もなく開館します.静岡県は財政的に裕福県でありながらまだ本格的な自然史博物館がありません.

 このたび,静岡大学名誉教授伊藤二郎氏の呼びかけで,県内の自然史関係の8団体の代表者が発起人となり,5月11日に県庁を訪れて県企画部長に設立のための要望書を手渡しました.一日も早く立派な自然史博物館が設立されるよう,本会としてもできるかぎりの協力をしていきたいと思います。

              要望書

  静岡県知事       石川嘉延 様
  静岡県教育委員会教育長 大野 忠 様

 静岡県における県立自然史博物館の設立こ関し,趣意書を添付してその設立を計画されるよう要望いたします.
                 静岡県立自然史博物館設立発起人会

           趣意書
 平成7年2月に県知事石垣嘉延名義で「新世紀創造計画の中間素案」が発表になりました.特に基本計画5項目の中の第2項目「自然を生かす美しい県土」と第4項目「未来を創る人と文化」については,自然史博物館の設立を欠くことができないものと考えられます.また平成6年12月27日付の内閣総理大臣通達「科学技術系人材の確保に関する基本指針」および平成6年12月27日付の静岡県生涯学習審議会からの答申「県の今後の生涯学習振興の基本方策の在り方について」でも,博物館の整備拡充が強調されております.あるいはまた,昭和47年文部省令第164号の通達の第3条には[都道府県は総合博物館又は人文系博物館及び自然系博物館を設置するものとする]とあります.

 もし本県に自然史博物館が設立されるなら,以下に述べる諸項目が大いに改善されて,本県の文教行政に貢献する所甚だ大と考えられます.

 1.自然史博物館の目的の第1項目として,青少年の学習に活用させることがうたわれている.現今の学校教育の学力偏重からくる弊害をやわらげ,科学する心や豊かな情操を培うことができる.

 2.社会教育の一環として,とくに生涯教育のための施設として自然史博物館は極めて有意義であり,自然を楽しむ多くの県民にとって学習の場となり,憩いの場となる.

 3.自然保護や環境保全は21世紀に向けての重要な課題であり,本県では現在すでに民間あるいは官制の保護団体が約20もあって活躍している.自然史博物館はその中枢的機関として情報交換や政策樹立に大いに貢献できる.

 4.本県には自然史に関する民間の研究会や同好会などが約20団体あって活発な活動かおこなわれ,それぞれ有意義な出版物も発行されている.自然史博物館はその中枢的機関として情報交換や学術研究の向上に資することができる.

 5.魅力ある自然史博物館の運営には多数のよき指導者が必要である.そのためには民間篤学者によるボランテア活動,小中高校教員の指導活動,また国,公,私立諸大学の専門学者等の助言が必要であるが,本県ではそのような指導者に恵まれている.

 6.民間の篤学者が個人的に収集した貴重な標本や資料は極めて価値の高い県の文化財でもある.いたずらに個人の倉庫に死蔵されることなく,自然史博物館で一括管理保管して天災や人災から守ると同時に,適宜公開し展示して活用することができる.

 7.折角養成された自然史分野の学芸員に対して,大いに力量を発揮できる場を提供することはわが国の学問の発展にとって極めて重要であるが,自然史博物館の設立はその上うなことに対しても貢献できる.

 8.国際化の進む現代において,本県を訪問される諸外国の客人に対し,本県の紹介の一端として自然史博物館の存在はまことに好都合であり,世界の自然史研究の上でも大いに貢献できる.

 自然史博物館の附属機関として,同時に傷病野鳥の保護センター及び生物園の設立が必要であります.理由の第1は,国内でも有数の自然のある県であり,負傷し保護される鳥獣も多くあります.しかるにこれらの保護は,一部の動物園に頼っているのが現状であり,県としては,これらの傷病野生鳥獣の保護センター設立の必要があります.第2は,県内にはいくつかの動物園はありますが,日本産の動物の展示は殆どありません.静岡県の豊富な自然教育のためにも,保護された鳥獣等で放野できない鳥獣を含めて,生きた教材として,ほ乳類,鳥類,は虫類,両生類,淡水魚類,昆虫やその他を飼育展示する生物園の施設が必要であります.

 自然史博物館の設立は単に特定の部局のみで担当されるものではなく,県庁内の多くの部局に関連するものと考えられます.そのためには知事部局と教育委員会が一体となって,その準備委員会を組織されることが必要と考えられます.

 私達発起人一同も必要に応じて学識経験者等による専門委員会などを構成し,その設立に対して援助をしたいと考えております.

 以上に述べた事由等により是非県立自然史博物館を設立されるよう,強く要望いたします.

 ちゃっきりむし No.105 (1995年11月14日)

  シルクロードを行く 大石昌之

 シルクロードは思っていたより乾燥していた.砂漠は塩を多量に含み,そして灼熱の日が照り付ける.風は涼しさでなく乾きを運ぶ.こんな所に蝶がいるのかと思えた,

 95年の夏,長年の夢だった中国に出かけた.目的は特異的に赤紋が発達したコイワヤノミオンを見ることなど.

 ノミオンが乱舞するのを夢見,7月16日に日本を出国した.香港,広州を経由し,7月21日に青海省へ入る.

 西寧に着いた日,駅前で客引きをしていたタクシーをチャーターする.車はロシア製のラダ.メーターが何回も廻った骨董品だ.私かチャーターしていた3日間に,パンク,車軸の故障,ライトの故障,オーバーヒートと,まともに走った日はほとんどなかった.

 中国では良い車と良い運転手を選ぶことが旅行を成功させる秘訣のようだ.コイワヤノミオンは,青海省の都蘭県に局地的に生息している.しかし今年はどうも発生が遅れているようだ.

 青海湖の南側に西寧からゴルムドに抜ける道がある.この道の沿線にノミオンのポイントが点在する. 23・24日と砂漠をそしてハゲ山を歩くがノミオンを見ることはできなかった.ノミオンに予定していた日はあと1日.せっかくここまで来たのだから,乱舞とは言わない,せめて一頭でいいから見てみたい.

 25日,晴れ.午前8時半に都蘭の宿を出発する.今日は少し離れた山に登ることにする.3時間かけ標高3500mの山頂に立つ.来る途中,ジャノメチョウの仲間とかミヤマシジミ,それにヒメヒカゲの仲間を見ただけだ.数も少なかった.それでもノミオンヘの期待は少しも減ることがなかった.

 息を整え,そしてのどの渇きをいやしながら山頂でノミオンを待つ.一人,遠くを眺めながら異国の自然を満喫していると,突然一匹の蝶が現われた.瞬間的にノミオンだとわかった.午後0時54分だった.ノミオンを見るのは初めてだったが,白地に大きな赤紋がしっかり見え,他の蝶と見違うことはなかった.その時なぜか私は息を止めていた.

 視界にいたのはほんの数秒だった.しかし夢に見たコイワヤノミオンの品のある美しさを目に焼き付けるのには充分だった.

 何とも言えない満足感の中で一服する.ノミオンの舞う姿が何度も想い出される.顔が自然にゆるんでしまう.ノミオンまでの道程は長かったが,それがまた感激を倍にしてくれた.ノミオンは結局この一頭しか見ることができなかった.でも,大きな満足感を得て山を降りることができた.

 コイワヤノミオンの生息環境は過酷なものだった.そこは,出国前に見た図鑑の写真通り,文書通りの所ではあった.しかし,頭で理解したものと,実際体験したものには大きな差があった.

 まさか塩風に当たり,唇の皮がむけるとは思わなかった.雨ではなく砂ぼこりで虹ができるとは思わなかった.水がこれ程貴重に思えたことはなかった.砂漠にラクダがいるとは.

 海外に出るといろいろ感動させられる.中国はけっして旅行しやすい国ではない.しかしここには,とてつもない魅力を秘めた自然がある.中国に来て良かった.そしてノミオンを見れて良かった.

 これから四川省に移動する.そこにはクロオオムラサキがいる.日本の生物の古里だ.きっと大きな感動があるに違いない.

 ちゃっきりむし No.106 (1995年12月15日)

  ちゃっきりむしの送り方 清 邦彦

 「駿河の昆虫」の発送の仕事をしながらなんとなく思ったのです,こういうことをしているってあまり知らないかもしれない,ヘーそんなふうにやってるのか,と知ってもらっていると何か役に立つこともあるだろう,そこで発送を中心とした,同好会のかげの仕事を書いてみます.

 「駿河の昆虫」「ちゃっきりむし」の発送は,北安東にある高橋総務幹事のお宅で,平日の夜7時30分頃から11時頃まで,ふつう高橋さんを含めて3入でやっています.4人でやることもありますが,仕事の手順というものがあってかかる時間は3人でも4人でも似たようなもの,5人ともなるとかえっておしゃべりし過ぎて仕事がはかどらないので,3入です.まず下ごしらえとでも言いますか,会費の請求書・領収書を五十音順に並べておく,請求書につける郵便振替えの用紙に番号をゴム印で押す,この番号を押しておくのとおかないのとで会費の納入率が変わってくるのです,そして封筒の裏に同好会の住所印を押します.次はこの封筒に宛名シールを貼ってゆきます.以前は手書きの住所リストをコピーして一つ一つはさみで切り取りのりで貼っていったのですが,今は諏訪さんがパソコンで打ち出したシールを貼るだけです.次はいよいよ「駿河の昆虫」と「ちゃっきりむし」を入れて,そこに会費の領収書または請求書+振替え用紙を一人一人確かめながら入れます.そのためには封筒も五十音順を崩さないように気をつけます.このへんがややこしいのですが,毎回発送のたびに請求し,しかも払いやすいように番号を記入した振替え用紙を入れることで少しでも会費の納入率を高くしようとするわけです.年4回の発送の1回目は請求書が多く,2回目はその領収書と未払いの人の請求書+振替用紙で,発送の仕事量は多くなります.3回目,4回目は大部分の人が会費を払い終わってますので仕事も楽になります(今回も請求書が入っている方,よろしく…).そして封筒ののりづけ,最後に発送もれのないようにちゃんと発送したことを名簿に記録しておきます.

 要するに,ただ封筒に入れてのりづけするだけのことなのですが,250部ともなると大仕事なのであります.昔はそれに切手を貼っていました,この頃は4人でやったように思います.今は清水の鈴木郵便局長が車で取りにきてくれて局で別納印を押してもらっていますのでずいぶん助かります.そもそもこの250部というのはちょっと一人では持って行けない量なので,鈴木幹事が運んでくれるまではそれぞれが手分けして帰りがけにポストに突っ込んでいったものです,それも1つのポストだけでは入り切らなかったりするので私は深夜の静岡刑務所のポストなど,2か所のポストに分けて入れていました.

 量が多くても機械的にもくもくと作業していれれば良いのですが,ややこしいことがよくあります.例えば確認作業をしてみて,だれか1人分見つからないとか,請求書を入れ忘れたまま封をしてしまいまたのりをはがさなければならなくなったり.それから,住所の変更,宛先不明で戻ってくる人や会費を何年もおさめていない人に送るかどうか,というのもあるわけです.

 それから会誌の交換をしているほかの昆虫同好会が30ほどあり,これは節約のため2号ずつまとめて発送します.だから2回目の号の発送は,同好会あての分と請求書などを入れることで,一番大変になります.最後にTTS図書に送るための30部の荷造りをしておしまい,夜遅くなってしまっているので後片付けもしないで帰ってしまいます.

 高橋さんのお宅ではこの迷惑以上に困っているのが,バックナンバーと交換会誌の置き場所.一部は他の幹事の家にも置いてあります.近頃はコピーの普及でバックナンバーが売れなくなり,「駿河の昆虫」の印刷部数も以前より少なくしてあります.

 昆虫同好会の幹事の仕事というのは,まず1月の幹事会,これはこのところ新年会の日の午後4時から「加茂」で行うのが慣例となってきました.なぜ新年会が「加茂」かというのは北条幹事の仕事の関係のお店なのでいろいり融通つけてもらえるからです.ここで前年度の報告,とくに会計報告などと,その年の活動計画を立てます.総会,例会,中でも観察会はいつどこでと言う事で相談に時間がかかってしまうこともあります.それから「駿河の昆虫」の担当も決めます.幹事会は普通この一回だけで,この時以外の相談事は電話をとうしてやりますので,幹事の数が多いと総務の高橋さんは大変になります.そうでなくても,会計,事務,問い合わせの返事,物置場,作業場,そのほか幹事がやり残した仕事の後始末までしているのですから.

 「駿河の昆虫」の編集というのは,まず原稿集め,足りないときは呼び掛けたり自分で書いたり.自分で書くためにはそれだけのものを日頃からやっていなければならないのですが,私はこのところ「ちゃっきりむし」専任なのでその心配はありません.でも「ちゃっきりむし」に書くためには観察会や例会などサボれないのです.原稿はできるだけ正確に行数を数えます.これをいい加減にやると,タイプ打ちした後で余ったり足りなくなったり.会誌は4ページ単位なので,24ページのつもりがちょっとはみ出したから25ページに,という訳にはゆかず,いきなり,じゃあ28ページに,となるわけです.途中で変なすきまができたときのためも含めて,いろいろな長さの短報のストックがあると助かります.ま,たいていは自分で都合のいい長さの原稿を書く羽目になるのですが….

 この原稿を,安東の住宅地の中にあるささやかな印刷所「童芸工房」に持って行きます.校正は3回,ただし3校は童芸工房に出向いてやることが多いと思います.今は校正刷りはコピーですが以前はロウ原紙にタイプ打ちしたもので日に透さないと読めないのでなかなか厄介でした.

 同好会の経営の大切なことは会誌を定期的に出すこと.原稿不足→発行の遅れ→会費不足→倒産,とならないようにするには原稿を確保すること,原稿を書けるだけの活動を日頃からしていること,だとおもうのです.それでも前号のように予定日になっても発行することができなかったり,今回のように急に順調に出たりもします.そこでとばっちりを食うのが,郵送料節約のため同時発行になっている「ちゃっきりむし」.せっかく書いた「クロコノマ調査会の案内」の原稿をボツにして新年会会場の予約をあわててとったり,今回のように何も書くことがないのでこんな文で埋めたりというみっともない事をやっております.