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<Webちゃっきりむし 1997年 No.111〜114>

● 目 次
 諏訪哲夫:富士山の自然をとりもどす (No.111)
 大石昌之:イラン (No.112)
 諏訪哲夫:モンゴル・アルタイ蝶採集紀行(1) (No.113)
 諏訪哲夫:モンゴル・アルタイ蝶採集紀行(2) (No.114-1)
 清 邦彦:ロシア・アルタイ共和国に蝶を求めて (No.114-2)

 ちゃっきりむし No.111 (1997年2月25日)

  富士山の自然をとりもどす 諏訪哲夫

 昨年の9月22日,夏の談話会の当日は,台風17号の影響を受けて朝から横殴りの風雨に見舞われ,新幹線も一時止まってしまった。会員の中には遠路来静を予定されていたが参加できなくなった方もでた。この強風は,富士市・富士宮市の森林に大きな被害をもたらした。富士市においては,連続降雨量は73oと少なかったが,瞬間最大風速は43.3mを記録し,平均風速20mを越す北北西の風が4時間も続いた。富士市・富士宮市には富士山麓を中心に昭和30年代に植えられたヒノキ・スギの民有人工林が約1万5千ヘクタールと,約8千ヘクタールの国有林があり,これらの森林が大きな被害を被った。被害の区域は富士市勢子辻から富士山スカイラインにかけての範囲と,富士宮市田貫湖周辺の,私有林,市有林,国有林におよび,被害の面積は約770ヘクタール,被害額24億円と見込まれている。被害を受けた森林を観察して見ると,地形的な条件が重なったため部分的に強風の通り道となった所,土壌が浅く根系の発達が十分でなかった所,あるいは,間伐適期の林齢を失して,遅れて間伐を行ったため幹の太さ,樹高,葉量などのバランスが悪い林,などに被害が集中していたように見受けられた。富士宮市は一昨年の9月にも台風の被害を受けていて2年続きのものとなった。

 富士山の人工林に2年連続して被害があったことや,自然環境にも配慮してか,被害の跡地について果たして再びスギ・ヒノキを植えて人工林にしても良いものだろうかというような意見を各方面の方からいただくことが多くなった。それはまず,森林を所有していない人などからは「スギ・ヒノキなどの樹種ばかりを一斉に植栽したのでこのようなことになったのであり当然のことといえる。いっそ広葉樹に変えていくべきだ」という意見,「被害を受けた森林については少なくとも今後広葉樹にしていくべきだ」,あるいは「スギ,ヒノキに広葉樹を混植していったらどうか」,また,森林所有者は「広葉樹などに変えても一銭にもならない。仮にケヤキなどの収入の得られそうな樹種であっても伐るまでに70年8O年あるいはそれ以上ではどうにもならない。スギ,ヒノキは環境の面から見たら決して良いとは思っていないが,収入の得られるものは他に無い。」などその人の立場によって意見は様々である。  しかし,今まで余りなかった,あってもごく少数でしかなかった「広葉樹を植栽しよう」という意見が多くなってきたことは確かである。とくに,森林を経済活動の対象とするのみではなく環境面をも重視すべき立場の公有林(市有林など)サイドからこのような意見が聞かれることが多くなっている。また,所有する山林が広大でゆとりのある森林所有者からも広葉樹を植えてみようという意見も聞かれる。少しずっではあるが森林に対する気持ちが変わりつつあることはまちがいない。

 昭和30年代の富士山の自然環境,特に蝶類の生息環境は,火山荒原が延々と広がり,チダケサシ,カセンソウ,マツムシソウ,ワレモコウ,キキョウ,オミナエシ,ノアザミ,ツルフジバカマ,ナンテンハギ,キリンソウ,カワラナデシコ,ノハナショウブ,オオバギボウシなどが咲き誇り,そこには,ヒメシロチョウ,ゴマシジミ,アサマシジミ,ヒメシジミ,ミヤマシジミ,ヒョウモンチョウ,ホシチャバネセセリ,チャマダラセセリなど多くの種類の草原性蝶類が多産していた。また,森林も多様性をもっていて,ハヤシミドリシジミやクロシジミのほか,メスアカミドリシジミやフジミドリシジミなどの純森林性ゼフィルスも多かった。この状況と比較して現在は,上記のような人工林となり,畜産のための草地となり,放置されたところはブッシュ状に森林化が進み,果てはゴルフ場を始めとする各種の開発が行われている。

 一方,昨年度県は富士山総合環境保全指針を制定した。これは,保全・共生・継承を3つの基本理念として,自然環境および生活環境の保全と利用についての考え方と方向を示したものである。これには,森林の保全や整備ばかりではなく,草原の維持管理についても明記されている。そして平成8年度から,この指針の理念を実現するため,富士山の森林を主体として,100年先を見越して多様な自然環境づくりのためにはどの様に整備・復元していくべきであるかの検討を始めた。また,富士市勢子辻地区におよそ200ヘクタールの面積をもつこどもの国の建設が現在進められているが,ここでは富士山特有の草原を復元,回復しようとしているし,植栽する広葉樹はこの周辺に生育している樹種とし,しかも近くで採取した幼木,あるいは種子から育てた苗木を使うなど今までにはなかった対応をしている。

 少しずっではあるが県民も行政も自然環境に対する関心が,それもうわべだけではなく質的にも高くなってきていると思う。富士山麓の大部分を40年前の状態に戻すことは極めて困難なことではあるが,現在わずかに残された優れた自然環境を持つ場所の保全と維持管理はもとより,さらに広範囲に多様性のある環境の復元と創造が進んでいくことを期待している。それには,我々会員も関心をもつと同時に何等かの関わりや協力も必要になってきていると思う。

 ちゃっきりむし No.112 (1997年6月25日)

  イラン 大石昌之

 1996年6月27日から8月5日まで,主に蝶の採集を目的としてイランに行って来ました。

 @ザヌース周辺(カスピ海沿岸地域)
 Aタブリーズ周辺(イラン北西部)
 Bテヘラン周辺(エルブルツ山脈南側)

 6月29日から7月6日までザヌース周辺で採集をしました。この地域(カスピ海沿岸)は乾燥の強いイランにあって,最も雨量が多く緑豊かな所でした。主に山間部で採集をしました。天気には余り恵まれませんでしたが,多くの虫を採集することができました。

 蝶では草原や部落周辺でイカルスシジミなどのシジミ類,オオモンシロチョウなどのシロチョウ類,ニオベヒョウモンなどのヒョウモンチョウ,特にイラクサがいたる所にあり,ヒメアカタテハが数多く見られました。また甲虫ではニジカタビロオサムシやクワガタなども採集することができました。山に入ると山道ではシジミやタテハが吸水集団を作っていました。川筋ではクモマツマキチョウが,開けた場所ではミヤマシロチョウも見られました。7月4,5日はカスピ海のビーチにあるホテルに泊まりました。ホテルの庭で数多くのトンボを見ることができました。また5〜60ある外燈には,朝になるとドラムかん一杯分程のカナブンが落ちていました。

 一度テヘランに戻り7月9日から7月21日までイラン北西部のタブリーズ方面へ行って来ました。この地域は非常に乾燥の強い所でした。赤茶けた山ばかりでかろうじて川ぞいにヤナギ林が見られる程度でした。この地域での採集はよくカレ沢で行ないました。日差しが強いため沢の縁や岩の影に蝶が潜んでいました。大きな岩の影には50頭程の蝶が隠れていたこともありました。カレ沢では主にジャノメ類を採集することができました。山の草地ではヒョウモンモドキの仲間,チャマダラセセリの仲間,タマムシ,カミキリムシを採集することができました。7月15日にはアゼルバイジャンとの国境付近にある標高2100mのバーバックキャッスル山に登りました。標高1600m付近にカシワ林が広く見られ,そこでゼフィルスを採集しました。イラン北西部ではここでしかまともな林を見ることはできませんでした。

 7月23日から8月3日までテヘランに滞在し,イラン最高峰のダマバンド山(5761m)をはじめエルブルツ山脈南側の山に入りました。7月25日と8月3日にダマバンド山に行きました。カレ沢だけど草花の多い場所で採集をしました。ここでは蝶の個体数も種類数も多く,三角ケースがすぐにいっぱいになってしまいました。7月23日と8月2日に登ったトッチャル山はケーブルカーがついており,それで標高2800mまで行くことができました。7月23日には花がよく咲いており,シジミ類やヒョウモンモドキの仲間をたくさん採集することができました。この山で石おこしをした時にサソリを見ることもできました。テヘランの北側には3000mを超す山が連なっていました。多くの山で登山道が整備されており,楽な採集ができました。

 イランは蝶が多く採集が自由にできる所でした。ただ日本のように山頂まで車で入れるような山はなく,ある程度の高山になると,短くても山頂まで片道10時間はかかります。イラン最高峰のダマバンド山では片道2日かかると聞きました。そのため体力,根性無しの私は今回の旅行で3000mを超す地点まで行くことはできませんでした。

 4000m級の山が連なるエルブルツ山脈にはきっとすごい蝶がいるのではと思っています。イランは国境付近を除いて安全なようです。どなたかチャレンジしてもらえたらと思います。

 最近海外に出ても余りカルチャーショックを受けなくなっていたのですが,イランではけっこう新鮮な感覚を味わって来ました。閉鎖的な国のせいでしょうか,プライドの高い国民性のせいでしょうか,それとも宗教のせいでしょうか,いろいろな面で個性を感じました。女性の貞淑があれほど求められているのは新鮮であり,異様であり考えさせられるものがありました。女性の衣装について何度も感想を聞かれましたが,本人が良ければいいんじゃないですかと決まり文句を返してきました。

 フルーツかごにキュウリとニンジンが入っているのにはちょっとおどろきました。ミリンダをイランではイランダの商品名で売っていたのには笑いました。 40日間も行っていると話したいこともいっぱいあります。ヒマな方がいらっしやったら私の話しを聞いてやってください。

 ちゃっきりむし No.113 (1997年11月10日)

  モンゴル・アルタイ蝶採集紀行(1) 諏訪哲夫


 草原性蝶類の豊かなモンゴルに行ってみたいと常々思っていたが,それがやっと実現した。最近では直行使の便数が増え,国内線との連絡も良くなり,随分行きやすくなった。日本の採集者も増加している。

 一方,モンゴルの蝶の研究は,ロシア人などによって僅かに調査されているだけで,日本人による調査はここ4,5年前から始められたにすぎない。まだまだ未知の所が多く大変魅力的な国と言える。
 この国の南半分はゴビ砂漠で知られる乾燥地帯。北側には山岳地があってやや雨量が多くなる。それでも首都ウランバートルの年間降水量は290oほどしか無い。静岡市のほぼ9分の1である。西側はロシア,中国と国境を接していて,ここには国内最高峰の標高4、374mのタボンボクド山を始め4、000mを超える山を5座有するアルタイ山脈が1、500qにわたり,ほぼ南北に連なっている。山脈の南半分で,モンゴルと中国との国境となっている辺りをモンゴル・アルタイと称している。

 7月3日,静昆会員の大島良美,城内穂積,平野裕一・聴子夫妻,の4氏と筆者らを乗せた悪名高いアントノフ24ソ連製双発のプロペラ機はウランバートルを飛び立ち,アルタイ山脈の麓にあって約1、300 km離れたモンゴルの一番西の端の都市であるウルギーヘ向かった。飛行機の窓から見える地上の景観は,緑は皆無で赤茶けた砂と岩山で砂漠の状態である。また,いく筋にもわかれて蛇行した川とその痕跡など荒涼とした大地が続き極めて印象的である。特殊な昆虫は生息しているところがあるかもしれないがほとんど期待できない。それでもよく目を凝らしてみると,車の轍や川べりに生えた僅かな緑を頼りにした放牧地が見える。人間のしぶとさ,したたかさには限りがないように思う。

 我々が給油をするために着陸したムルン飛行場付近で3年前墜落し,今年になってロシア国内では老朽化のために飛行停止になったという件のアントノフ24も無事,舗装もしていない草の滑走路のウルギー空港に着陸した。この都市は標高1、750m,周囲を岩山で囲まれた盆地にある街。乾燥しきっていて街の中でみられる植物は街路樹として植えたドロノキと点々と疎らに生えているイネ科などの草本のみ。周囲の山には樹木が一本も見当たらないばかりか赤い地肌の岩山で植物の緑も全くない。年間降水量は200o程度であろう。特に今年は雨が少ないらしい。山の谷筋へ入れば草があって花が咲いているのだろうか。どうもそのようには思えない。

 モンゴルの観光会社ジュルチンのガイドのアリューナはここから2時間くらい離れた所にゲルをつくるよう頼んであるのでそこでキャンプするという。ホテルを予約してあるはずなのにどうなっているのだろうか。日本を出る時まで再三ホテルの名前を照会したのに返事がなかったのはこのためだろうか。帰国してから判ったことなのだが,ウルギーのホテルに泊まった外国人旅行者は必ずといって良いほど何かしらの不満を言ってくるという理由のほか,我々の希望が草花の多いところで蝶の採集をしたい,場合によってはキャンプでもよいということであったのでその希望に沿って準備したとのことであった。ただそれを事前に我々に知らされていなかったのだ。もっともこの町のホテルを拠点にして片道50〜60kmの範囲で調査をしたとしても,植物があって花が咲いていて蝶がたくさんいる所などありそうにない。アリューナの提案にしたがってゲルを作った所に行くことが賢明であろうということになった。

 極度に乾燥し,植物が疎らに生える草原を土埃を上げて走ること2時間,周囲の赤茶けた植物のない岩山は変わらないが,途中,水量のある大きな川べりで休憩する。水辺の湿った所にだけ僅かに植物があるが,植物の種類は単純で,したがって蝶も極めて少ない。ユーラシアヒメヒカゲ,ウスルリシジミ,チョウセンシロチョウなどがわずかに見られたのみである。再び我々の2台のジープは半砂漠の中を,また轍だけの沢筋の悪路を走ること3時間半,夜9時20分やっと目的地チヘルテイに着いた。それにしてもドライバーの運転技術と長時間運転しても全く疲れを見せない体力には驚く。我々がウランバートルを出発した4日前,ドライバー2人と女性のコックは我々の食料などを積んで,ウランバートルからなんと陸路1、800 kmを走ってウルギーで待っていたというからすごい。彼等はアメリカなどからハンティングにきたお客さんを度々山岳地に案内しているので,地理や道路には精通しているし運転技術にも磨きが掛かっているのだという。

 ここチヘルテイは湖と3、000mを越え氷河地形を有するまだ雪を残した高山に囲まれた,標高2、450m,ゲルの点在するなかなか美しい所である。しかし草本植物はあるものの草丈5センチほどで茶色く半枯れの状態。放牧された山羊,羊,牛,ヤク,馬などによりほとんど食べ尽くされ,今年の少雨が植物の生育にさらに悪い影響を与えている。

 7月4日からこのゲルをベースキャンプとして周囲の調査を行った。高木は無く,樹木は50〜60cm位のサンザシに似た灌木が山肌を所々覆っている。これは家畜には食べられないので多く残っている。山肌を見ると濃い緑色に見える。このようなところには花の咲いている草本は少なく植生は貧弱で蝶もいない。沢筋には少いながら花が咲いているので吸蜜に来る蝶が少し目立つ。直径3cmほどの丸い赤紫色をした花のユリ科アリウム属のアサツキに似たものによく来る。 Tssoria 属, Boloria 属, Clossiana 属, Mellitaea 属などの種類が多い。谷がやや開けたところまで登ると白い中形の蝶が飛んでいる。それは Parnassius phoebus である。沢の水辺にベンケイソウ科の植物の群落があり,多分これを食べていると思われる。その後も phoebus の習性を観察していると,沢の水辺には食草のベンケイソウが群落を成していることが多いが,そこには決まって本種がいる。乾燥した草原の中を飛翔しているのを時々見掛けるが,これは発生地からはみだした個体であろう。一般的には Parnassius は乾燥したところに多いと思っていたのに意外である。飛び方は, nomion のように滑空せずに連続してはばたき,地上4〜5mの比較的高いところも飛翔する。7月の上旬はもう既に全盛期を過ぎ,破損した個体が多い。

 2日目は花が咲き蝶のたくさんいる,中国との国境近くまで案内してくれるという。 ドライバー達はこの辺りの状況に詳しい。ベースキャンプから2、800mの峠を越え,隣の流域を下って花の咲き乱れる川べりの平坦な所までいった。標高は2、190 mであった。この川は中国に流れ下り,国境まであと僅か20〜30kmで,国境警備の軍隊もいるという。この流域はベースキャンプのある流域とはがらりと変わって,シベリアカラマツの森林と,それに連なつて花の多い緑濃い草原となる。この理由は,恐らく雨量が多いこと,自然保護区となっていて家畜の放牧が制限されているかららしい。蝶もかなり多い。まず始めに目に飛び込んできたのは Erebia theano である。個体数も多い。ここの亜種は E. theano theano とされ,極東などにいる亜種 E.theano pawlowskii とは別種のように斑紋が異なっているので関心をもち期待していたものである。飛び方は日本のベニヒカゲと大差ないように思った。これより密度は少いが Erebia kindermanni もいる。アルタイ固有の稀種である。カラマツの林の中に入ると前2種と,それに加えてクモマベニヒカゲを小さくしたような Erebia yeniseiennsis ,日本のベニヒカゲに少し似ていて種名がわからない Erebia sp.も採集できた。平野氏は少し離れたところにある露岩のまわりで Erebia maurisius を採集している。後日ほかの場所で筆者が見た E. maurisius は黒く大きく見えて飛ぶスピードも速い。やや乾燥したところを好むようだ。これら5種に加えて乾燥したところに住む E.altajana らの6種の発生の順序はおおよそ Erebia sp.→ yeniseiensis theano = kindermanni = altajana maurisius であろうか。破損の程度から見て yeniseiensis は6月中旬から発生しているように思われる。我々の採集した7月上旬は theano の全盛期であった。 Erebia 以外で採集できた種類は, Oneensis sp., Clossiana selene, Clossiana dia, Boloria napaea, Issoria eugenia などである。 Oeneis は汚損したメスが少し採れただけで,成虫の時期は明らかに終わっている。

                            次号につづく

 ちゃっきりむし No.114-1 (1997年12月20日)

  モンゴル・アルタイ蝶採集紀行(2) 諏訪哲夫

 この日の夜は今回のスタッフ10人全員を遊牧民の一家が夕食に招待してくれた。ベッド,家具を民族独特の色とデザインで織った布で飾ったゲルの中で,酸っぱい味のミルク主体のミルクティーで乾杯し,何種類かのチーズ塩味の利いた実に美味しいバター,羊を1頭つぶしての焼き肉料理,冬の保存食として大切にしている牛肉の薫製など,これらを馬乳酒を飲みながらいただいた。食べるもの飲むものほとんど全て自分達が家畜から作ったものである。ちがうといえばパンの小麦粉くらいなものだろうか。食物以外にも衣類やマット,ヤクの糞の燃料に至るまで全て家畜からのものだ。人と家畜は正に一体。どちらがどちらを養っているかも分からない。互いに相手を家族と思っているのだろう。互いに利益を与え合い,分かち合う共生と言えるものだろう。

 馬乳酒のアルコールが少し手伝ってくれて会話も弾んだ。モンゴルも西の端まで来ると言語も変わり,子供たちはモンゴル語が判らない。カザフ語である。人種もカザフ人となる。すぐ隣はカザフスタン共和国になるのだから当然かもしれない。この夜の会話は,日本語−モンゴル語−カザフ語の二重の通訳に加えて,年配の人は解るロシア語と,英語の5か国語が入り乱れることとなった。内容はほとんど分からないが,何となく分かった気持ちになるから面白い。

 ゲルの周辺の調査も順調に成果が上がって,あと1日となり,その次の日にはウランバートルに向けてウルギーを発たなければならない。帰路も同じ道を帰るしかなく,それは遠く,しかも悪路続き。車のトラブルがちょっとでもあれば,帰りの飛行機に乗れなくなることもあり得る。野宿覚悟で1日早く出発して,ウルギーの近くまでいっておいた方が安心である。そうすれば途中,今までとは変わった環境で採集ができる。計画の変更をガイドに交渉したところ,意外に簡単にOKということとなった。しかも宿泊はブヤントという集落の近くに住んでいる家族のゲルを借りるのだという。電話などないこの山の中でどうやって了承を得たのか聞いたところ,そこに着いた時にお願いするから構わないという説明だ。そんなことをしたらその家族にとってはなはだ迷惑極まりないのではないかという我々の心配に対してガイドは「全く気にすることはありません。モンゴルの人は見ず知らずの人でも喜んで歓迎してくれます。」ということであった。結局,ゲルをそっくり空けてくれ,しかもその家族の普段使っているベッドまで使わせてもらい,更にチーズのご馳走までいただくこととなってしまった。

 ブヤントにいたるまでの帰りの道は,少しでも植物のあるところを経由して行ってほしいという我々の要望を汲んでくれて,往路を離れて緩やかな起伏をもった山腹と小さな川の流れる所に案内してくれた。そこはうっすらと草の緑は見えるもののやはり乾燥していてさほど良い所には見えない。それは今年雨が少いためで,例年なら花がいっぱい咲いていて,湿地には水が多く足を踏み込めないほどなのだという。乾燥しきった小石だらけの緩やかな斜面を一歩行くといきなり Boeberia parmenio が幾つか飛びだした。2m前後の高さを保って,スキップするような飛び方は実におもしろい。速度も速くちょっと採りにくい。 Colias mongola は地上50cmくらいの低いところを活発に飛んでいる。羽の色が薄緑色なので背景の草の色に紛れて見失いやすい。花にはあまり来ない。追跡しても息が切れてなかなか採れない。 E.altajana は乾燥した草地が好きである。 Erebia 属とは思えないようなスキップ混じりの飛び方で,振った捕虫網をかいくぐる勘に優れていろ。ここにきて始めてミヤマシジミ,イダスシジミがいた。今回の調査では Aiubulinaolubitus,Polyommatus icarus が僅かにいたのみで, eres の仲間やそのほかの青いシジミがほとんどいない。時期が悪いのか,生息地ではないのかその理由は分からない。イダスシジミなどはいたけれども破損したものが多い,小さなマメ科の植物に執着していて,シルビアシジミのように地上すれすれに飛び回っている。どれもかなり小さな個体ばかりである。 Melitaea 属も含めて小型のヒョウモン類は相変わらず Tssoria eugenia が一番多い。次いで Clossiana slene, Boloria napaea, Melitaea arcesia などであった。

 これまで,ゲルの準備や自然保護区での採集,またブヤントでの宿泊などすべて事の運びが実にうまく進んだのは,ウルギーから同行した旅行社のカズベック氏に負うところが極めて大きい。彼は赤いチェックのシャツに吊りズボン,腹の出た髭ずらのおっさんで風采は上からないが,以前の社会主義体制の時代には大臣までやった人で,今でこそ体制が変わったために旅行社に勤めているが,その顔は広く知られていて,まだ彼の信望と力は衰えていないかららしい。彼の頼みなら皆いうことを聞くとのことだった。 我々の今回の採集旅行は天気にも恵まれ,想像を絶する様な自然環境とそこに住む蝶たちを見,採集することができたし,50年間90年間全く変わらない生活を続けている遊牧民たちの生活にも触れることができた。今回の採集で,大島良美氏はいつもニコニコ,採集はもくもくとやっておられた。かなりの成果があったと推察される。城内穂積氏は毎朝暗いうちにゲルを飛び出し,裏山の標高3、000 m近くまで登ってモンゴルの風の音と狼とタルバガンの声を録音していた。私まだ録音したというその音と声は聞いていない,彼の健啖家には驚く。とくにチーズとアルコールを好むようである。平野夫妻はいつもお二人で量より質を競って採集している。とは言っても採集技術は人並を外れており,私の3倍は採集しているらしい。 7月9日,アントノフも墜落せず,無事静岡に帰ってきた。現地ではいろいろな人からモンゴル・アルタイ山脈周辺の自然環境に関する情報も得ることができた。ごく近い将来,まだ未調査地域の多いこの国に再び訪れることとしたい。

 ちゃっきりむし No.114-2 (1997年12月20日)

  ロシア・アルタイ共和国に蝶を求めて 清 邦彦

 1997年,第10次木暮昆虫調査隊はロシア側からアルタイ山脈にアプローチした。メンバーは隊長の木暮翠氏,篠原豊氏,利根川雅実氏,それに私の4人。 7月23日16時30分発のアエロフロート機は新潟空港を離陸,5時間ほどでイルクーツク空港に着陸。インツーリストホテルにチェックイン。 24日,ノボシビルスク行きの飛行機は午後なので午前中は東に40kmほど行った所のドブロリェートヘ。道路と森や牧草地との間の草地には,エルタテハ,クモマベニヒカゲ,ニオベヒョウモンなどが見られた。急いでホテルに戻ると通訳兼ガイドの大学生が言った。「飛行機がキャンセルになってます,どうしましょう」無理矢理その夜の便に変更してもらったが,もともと飛ぶ予定のない便を予約してあったらしい。

 25日,0時00分発のオレンブルグ航空でノボシビルスクに着いたのが2時半,現地ガイドの運転する車でアルタイ共和国までの580kmを走り続けた。午前10時オビ川上流のカトゥニ川岸のマンジェロークのキャンプ場着。あたりは針葉樹林と放牧地,急斜面の上部には岩場もある。2時間ど周囲を歩いたが雲が厚い。気温が低くても元気なのはジャノメチョウばかりである。ベニヒカゲの一種 E、aethiops も見られる。午後からは雨が降りだした。

 26日,ずっと行けばモンゴルにつながる街道をシェバリノという所まで南下してみる。標高1300mの峠に行ってみたが日は差さず気温は上がらない。草むらをかき回してやっとキタベニヒカゲ E、neriene 2頭を採集できた。帰りがけに寄ったウイキョウの花で黄色い草原ではミヤマシジミ,ダモンシジミ,クロツバメシジミなどを採集した。良い草原で天気も回復してきたがもう夕方である。

 27日,曇り。25日に下見しておいたチェマール手前の岩場の下の草原に向かう。しかし車の故障で着いたのは午後1時半すぎ。とうとう雨が降りだしてしまった。雨の中を傘をさして歩きまわり,ノコギリソウの花に止まっているオオアカボシウスバシロチョウを見つけだして手で摘んで採集した。  28日,やっと晴れた,でももう帰らなければならない。マンジェロークの村で2時間だけ採集,チョウセンシロチョウ,イカルスシジミが多かった。あとはまたノボシビルスクまで,地平線に沈む夕日を見ながら走り続けた。