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<Web ちゃっきりむし 2011年 No.167-170>

● 目 次
 西山保典:シロオビヒカゲ その後 (No.167)
 諏訪哲夫:固有種の島スラウェシ (No.168)
 鈴木英文:大草原の困った謎(No.169)
  加須屋 真:アリ記念日 (No.170-1)
 清 邦彦:アサギマダラの戸惑い (No.170-2)
 清 邦彦:静岡県周辺の蝶・謎の記録 9―篠井山のフタスジチョウ― (No.170-3)

 ちゃっきりむし No.167(2011年3月1日)

  シロオビヒカゲ その後  西山保典

 2010年の年末、クワガタ大図鑑を出版した藤田宏がポツリともらした.頭髪を失ってまで作った初めての図鑑.いい図鑑を作ろうとしてあらゆる努力をした.あらゆる苦労もした.そしてフト我にかえるのだ「図鑑……て、なんだろう」と.

ボクは「図鑑は虫屋にとって哲学書だろ」と、さして脳むこともなく答えた.[図鑑は思想書だ.虫の事しか書いてなくとも,虫に対して考えている著者の気持ちがあふれていて,読者はそれにふれていくのだ.  林慶の「ちょう」(玉川こども百科)の影響も大きいけれど、保育社の横山光夫「原色日本産蝶類図鑑」が、一番刺激を受ける中学生の頃にあったので、この図鑑の影響が大きい.テーマはどうしても日本国内,日本産に熱くなってしまうのである.まだ日本に復帰しなくても,図鑑の中に沖縄の蝶が入ってくる.北隆館の白水隆の図鑑にシロオビヒカゲが入っていて、その図版をはじめて見た時は、ショックを受けた.シロオビヒカゲ裏面のジャノメ紋は見たこともない,くずれた美しさがあった.異国の蝶なのである.熱帯のジャングル、未知への探検、少年の夢をかきむしる衝撃があった.

 2010年秋、インドネシア・スラウェシイ島の中部パルヘ、静昆のメンバー数人と虫探りに行った.その時、奈良の松岡健氏もいた.松岡氏は伊藤忠の商社マンで、東南アジアに駐在している時、会った事もある.仕事が忙しくて、なかなか休みは取れない.結婚する時は唯一のチャンスだ.沖縄復帰した年の5月,石垣と西表島に新婚旅行に行ったらしい.

 石坦はオモトのアサヒナキマダラセセリ,西表は吉見のシロオビヒカゲ.新婦はわけもわからずついていった.川平ホテルに泊まったのはなんと2組目.最初の1組は体を焼きすぎて、ヤケドで帰ったという時代である.旅行社に手配したら、西表のホテルがようやく取れたといわれ、手配書をみてびっくりしたレ西表島ではなく,西之表市(種子島)のホテルなのだ.どうやって石垣島から種子島へ行くんだと、どなりつけたらしい.それぐらい西表島は無名だった.西表では大原の竹盛旅館にとまる.新婚が大広間でザコ寝をするわけにもゆかず,その家の少女がおいだされて、少女の別室に泊まったらしい.

 竹盛旅館の少女については、TSU・I・S0 1371号の「おどしぶみ」に少し書いた.大人はだれもいない竹盛旅館の広間で、少女が遊んでいたのだ.たぶん、もらったばかりのオモチャだったのだろう.少女は夢中になって遊んでいた.ゲーム盤の上にオモチャの車を手で動かし、立派な信号が立っていた.赤にしたり青にしたり,少女は宿泊客なんか眼中にないのだ.ボクは何度も泊まったことがあるので、とくに困りはしなかったが、夢中になっている少女のことをよく覚えている.その当時西表島には信号はない.松岡によると石垣島には!つあったという.ボクは遊んでいる少女に「西表島にはどこにも信号なんかないじやないか…」と声をかけた.今思うと、ずいぶんいたわりのカケラもない発言だったと思う.少女は返す言葉も出来ず、ボクのひやかし発言に、ただ悲しげな顔をしてだまった.なんでもない言葉に人はいたく傷ついているかもしれない.
 大原の交差点に信号が後年出来ると,島の西側の村の小学生が、遠足で信号を見学に来ていたらしい.子供の頃から都会で信号に慣れてしまっていると、何もない島の交通事情の淋しさはわからない.松岡の行った頃は車の右側が、左側通行になったばかりの時だった.
 大原に信号が出来たのは「竹盛旅館の娘が陳情したからかもしれない」と言うと、松岡は,「それはありうる」と言って、嬉しそうな顔をした.

 その竹盛旅館には3人の虫屋がいた.一大は長嶺邦雄さん,沖縄では古い虫屋さんだ.今年も年賀状をいただいた.元気らしい.言葉の少ない物静かな人たった.もう一人は長靴をはいてハブの心配ばかりしているJALの人だった.「古見のシロオビヒカゲのポイント、雑誌(月刊むし)を持っていかなくても,わかりますか…」と心配していた.ボクはとてもやさしいから,「あれはボクが書いたの!」などとは一言もいわなかった.
 あれから一度も西表にも石坦にも、行ったことがない.

 シロオビヒカゲ、種europa は,東洋区に広い分布域をしめる.西はインドから,東はセレベス、マルク諸島に及ぶ.北は台湾、西表島まで.石垣島にも記録はあろうが,とりあえず土着はしていない.西表ではわりに個体数も多いが,分布周辺地,はずれの場所(おそらく最近侵入したことによって競合種がないという理由によって)における現象のように思う.広く分布している地域では,どこにでも普通にいるが,その数は通常はあまり多くない.ねらっては探りにくいけど、ひょいと採れる.低地に居る普通種のパターンだ.
 かつて胸をしめつけられるほど興奮したシロオビヒカゲは、東南アジアに出かけはじめると、熱帯ジャングルの蝶などではなく,低地の人家の周辺で、とくに目立ったこともなく,どこにでもいる普通種になりさがった.
 セレベス中央部にわけいると、みたことのないシロオビヒカゲが採れた.violae と名前をつけたように,紫色の上品な幻光をはなつのだ.発見当時、カクシムラサキシロオビヒカゲなどと呼んでエツにいったが、特に注目をあびるわけでもなく、大発見とほめられることもなかった.
 violae を記載した頃,violae はeuropa の古い種という認識であったが、今あらためて見てみると,台湾にも分布してウラマダラシロオビヒカゲの和名もあるrohria の代置種と考えた方がいいかもしれない.rohria は山地性で,斑紋形態はviolae はrohria に近い,rohria は,いわゆるスンダランドに穴があくように分布しておらず,ジャワと小スンダの東に出てくる.violae の交尾器はeuropa に近いかもしれないが,それらを充分に検討した人は,まだいない.

 スラウェシイ・パルで蝶を採りながら、最近Lethe をやっている鈴木英文さんに,violae のストックはありますか?とたずねられて,「まだ残っているかなあ」と考えた.セレベスの採集人は,中央山地帯の蝶やクワガタが人気がないので,ストックはもちろんないし、最近採りに行くこともない.

 ちゃっきりむし No.168(2011年6月8日)

  固有種の島スラウェシ  諏訪哲夫

 東南アジアの島,赤道直下に浮かぶアルファベットの"K"の形をした島スラウェシ(セレベス)は以前から気になっていた.それは熱帯の蝶がたくさんいる楽園というだけでなく,固有種が多いこと,また他の島嶼に生息する同種,あるいは近縁の種と比較すると際立って大きいといわれ,いつか一度は行ってみたいと思っていた.

 スラウェシは南緯5度から北緯3度にまたがるまさに赤道直下の島で,ボルネオの東に位置し,面積は北海道のほぼ2.3倍でインドネシアに属している.

 現地へ採集に出かける前,関心は持っていてもあまり詳しくないのでこの島の状況を把握しようと,(株)プラパック発行の「東南アジア島嶼の蝶」の1巻から5巻に収録されているこの地域の蝶について集計してみた.残念ながらセセリチョウ科,シジミチョウ科が発行されていないが,アゲハチョウ科以下ジャノメチョウ亜科まで923種である.セセリチョウ科,シジミチョウ科は種数が多いのでこれらを加えるとおそらく2000種を超えると思われる.地域別ではマレー半島329種,ボルネオ323種,大スンダ列島434種,スラウェシ234種,フィリピン269種となった.これらのうちの3地域について固有種の割合を見るとボルネオ9.0%,フィリピン51.3%でスラウェシは57.3%と極めて高い割合となっている.因みに哺乳類は62%であるといいさらにすごい.蝶の科別にボルネオと比較すると,ボルネオのジャノメチョウ亜科が47種のうち9種19.1%が固有種であるのに対してスラウェシでは実に43種生息しているうち34種79.1%である.旧分類のタテハチョウ科ではボルネオでは141種のうち7種のみが(5.0%)固有種であるのに対してスラウェシでは77種のうちの43種55.8%となってボルネオとの違いが顕著である.フィリピンとの比較では,フィリピンも固有種が多い所であるが,アゲハチョウ科が57.6%とスラウェシの44.8%より高い以外はすべての科でスラウェシが上回っている.これらのことはやはりウォーレス線の存在が大きい.ウォーレス線はウォーレスとダーウィンが鳥類などの分布をもとに提唱した動物分布区画線で,バリ島とロンボク島の間を通ってボルネオとスラウェシを東西に分けフィリピンの南に至る.蝶の分布においても大きな意義をもっている.

 2010年12月11日,静岡昆虫同好会のメンバーと札幌の友人,それに今回はムシヤマチョータロー氏こと西山保典氏にも体調が完璧とは言えない状況の中で無理に同行をお願いしてシンガポール経由でスラウェシに向かった.今回スラウェシで採集した場所は,南の主要都市ウジュンパンダン(マカッサル)から車で1時間半ほど東に行ったバンチムルンと島の中央部のパル周辺である.バンチムルンは東南アジア屈指の好採集地だったらしいが,ジャングルの中の美しい渓流と滝が売り物となり,今では観光地となっていてここでの採集はできない.ここより少し離れた山裾の集落周辺で1日採集し,その翌日からはほぼ500q北,スラウェシの中央部のパルに移動し町の周辺で4日採集した.いずれの採集地も小さな渓流沿いである.渓流は水量が少なく,勾配が緩やかで地元の住民がよく歩いていると見えて山道はしっかりしていて歩きやすい.どこの渓流もかなりの距離を奥までさかのぼることができる.谷筋はところどころ適度に開けていて良い採集ポイントとなっている.最も多く見かけるのはミロンタイマイ(G.milon),ザリンダベニシロチョウ(A.zarinda ),アサギシロチョウ(P.tritaea ),ムラサキマダラの類(Euploea )である.ミロンタイマイはアオスジアゲハに似ているが,青い線がずっと鮮明で形も大きく美しい.ハルマヘラ島とスラウェシにのみ分布している.吸水によく来る.日本と同種のアオスジアゲハはスラウェシでは分布は限られており,また標高の高いところに生息しているという.ザリンダベニシロチョウは図鑑によると,近似のいわゆるベニシロチョウ(A.nero )よりずっと大きく,前翅の先端が尖っていて,大変立派に見える.実際に目の当たりにすると数も多く,新鮮な個体が少なかったこともあるのだろうが,あの美しい紅色はすすけてあまりきれいには思えない.かつて別の国でアサギシロチョウを目撃したことがあった.このときは極めて敏速で採集ができなかったが,スラウェシでは全く異なりマダラチョウのような飛び方である.大きさもずっと大きい.メスが吸蜜に来ていたのを観察するとマダラチョウにそっくりで擬態しているのだろうと思われる.ムラサキマダラの仲間は個体数が多く,人の汗を吸うもの,地面に降りて吸水するもの,花に群がるものさまざまである.前翅が鈍く紫色に光り,白紋を持つものが多くすべてが同じ種に見える.後日調べたところ,Euploea hewitsonii,E.eleusina,E.algea  の3種であることがわかった.hewitsonii はスラウェシのほぼ固有種といっていい.渓流の上流からかなりのスピードでスキップするように大型の蝶が飛んでくる.後翅の白く長い尾状突起を振りながらちょうどハクセキレイのような飛び方でもっと速い.アオスジアゲハ(Graphium )属としては最大のandrocles である.これもスラウェシ固有種である.有名なアオネアゲハ(Papilio peranthus )は普通にみられる.吸水ため地表によく降りる.やはり美しいアオオビアゲハ(Papilio blumei )は数回しか目撃しなかった.アオネより飛び方は速く採集は難しい.キチョウの仲間(Eurema )が7種生息している.ミナミキチョウ(E.hecabe ),ツマグロキチョウ(E.brigitta )タイワンキチョウ(E.blanda )は日本と共通している.タイワンキチョウなど前翅の後縁が黒くなる種が多く特異である.スラウェシ特産の仮称セレベスキチョウ(E.celebensis )のメスは前翅,後翅とも黒色部が広がり全体が黒で被われ"黄蝶"ではなくなっているほどである.Eurema tominia は明るいところで見られるがblanda,celebensis,alitha は森林性である.キチョウ属は東南アジアには20余種生息しているが同定が難しい.今までに他の国や地域でもいくらか採集しているので今後詳しく調べたい.今回およそ120種採集した.シジミチョウ科,セセリチョウ科も何とか同定したい.

 末尾ながら,好採集地に案内してくださってスラウェシの素晴らしさを感じさせていただくとともに,また何から何までお世話いただいた西山保典氏には心からお礼申し上げる.

 ちゃっきりむし No.169(2011年10月15日)

  大草原の困った謎 鈴 木 英 文

 富士山麓には,1960年代まではところどころにカシワの疎林が混じる,ススキが主体の乾性の大草原が広がっていた.1970年代に別荘地,開拓地,耕作地が広がるに従い草地に樹林が混ざり合うような環境になり,ウスバシロチョウが富士山麓に侵入し,1990年代中頃には,富士山麓全域に生息するようになってしまった.それまでは,県内では分布が限られ,それほど積極的に分布を広げるような蝶とは思っていなかったウスバシロチョウが,環境の変化により短期間に分布を広げる力があることに驚かされた.

 今年(2011年)7月24日に富士山西麓2か所でオオムラサキが採集されたことは駿河の昆虫235号に諏訪哲夫氏が報告している.一か所は上井出の大沢右岸で1♂,もう一か所は猪之頭からグリーンパークの間あたりで車にぶつかったらしい1♂.同じ日に採集されたというのも面白い.今まではオオムラサキはもちろん,食樹のエノキも富士山麓で見かけることが難しかったが,富士山麓の湿潤化,森林化により,エノキと共に西方の天子山脈より分布を拡大し(天子山脈西側の富士川沿いはオオムラサキの分布地域である),ウスバシロチョウに次ぐ第二弾として,オオムラサキが富士山麓全域に分布を広げようとしているのか,環境さえ整えば,蝶の分布は広がるのだということを証明できるだろう.

 と,ここで話が終わればメデタイのだが.問題はオオムラサキの放蝶がある.
 上井出は,1982年から毎年のようにオオムラサキを放蝶している富士宮市の富士見小学校からは北へ約10キロ,グリーンパークはもっと北の15〜16キロぐらい離れている.オオムラサキの行動範囲はその飛翔力から見てかなり広いことが想像できるが,実際にどの程度広いかははっきりと解ってはいない.また駿河湾から静岡山梨県境にかけての富士西麓は,南から北への風の通り道でもあり,放蝶個体が富士宮から北方に飛びやすい環境にある.今回採集された個体が放蝶固体か,その子孫か,あるいは西方の天子山脈からの分布拡大か,大いに問題があり,今後の分布拡大次第では重要なことになる.

 静岡昆虫同好会では,富士見小学校のオオムラサキ放蝶について,ちゃっきりむし50号に「いわゆる放蝶問題について」と題して静岡昆虫同好会幹事会の「放蝶はごく特殊な場合を除き,一般には好ましくない」と放蝶に反対の見解を載せた.その理由の一つに「現在蝶の分布を調べ,その歴史的成りたち,過去の自然環境の復元,人間生活とのかかわりあいなどを研究しつつある私たちにとっては,今までに未記録の蝶が採集された場合,その蝶がもともとそこに生息していたのか,それとも人為的に放蝶されたものであるのかは区別できず,研究に混乱をきたす可能性がある.」と書いたが,まさにそのことが現実になったと言える.

 ちゃっきりむし No.170-1(2011年12月15日)

  アリ記念日 加須屋  真

 2006年6月、私は突然アリ採集を思い立ち、電車に乗って神奈川県真鶴へ行った。当時の私にとってアリは最も興味の薄い昆虫だった。それがアリを採集しようなどと思った動機はいたって不純で、当時アリにはまっていたH氏に珍種であるマナヅルウロコアリを採集して、見せびらかそうと思ったからである。当然のことながら初めての採集で、そんな簡単に珍種が見つかるはずもなく、それでも何種類かのごく普通種のアリを持ち帰った。

 ところがこれが意外にも面白かったのである。その5日後、日本産アリ類全種図鑑を買い込むとアリに没頭し、それからしばらくの間毎日寝床にまで図鑑を持ち込んでいた。妻いわく、そのころ私は一日中アリのことばかり話していたそうである。

 アリは現在日本では約280種ほどが知られているが、どれも地上を這いまわっているわけではなく、中には暗いじめじめした照葉樹林の、落ち葉の下や朽木の中などに住んでいて、ほとんど地表には姿を現さないものもある。特にウロコアリと呼ばれる1群や、ハリアリ類のほとんどが、そのような生態をしている。人目に付きにくく、微小な種が多く、土をふるったりして採集しないとならないため、初心者向きではないと思うが、最初に興味をひかれたのが、このウロコアリ・ハリアリ類であった。そんなわけで、それからは時間があればあちこちの森林へ出かけ、暗い林床にひとりしゃがみこんで落ち葉の下の土を掻きまわすこととなった。かなりマニアックな昆虫仲間からでさえ、暗い林でしゃがみこんでアリを掘っていると、「暗い」「小さくて見えない」などといってからかわれるが、この土の中から今日はどんなアリが出てくるかと思うと、気分はまるで宝探しである。

 さて、私は日本産トンボ全種撮影を目指して全国を旅することが多いが、そのためにはカメラ一式と、水に入るためのウエーダーなど、あまり普通じゃない荷物を持ってゆく。ところがこれにアリ採集が加わったため、さらに小型スコップ、土ふるい、白い紙皿、バネピンセット、ルーペなどが荷物に加わることになり、常識外れの荷物はさらに理解されがたいものとなっている。 トンボ探しとアリ採集はそれぞれ目線も異なるため、遠征した時も両方いっぺんにはできない。そこでトンボの出現時間に合わせ、それ以外の時をアリ採集に充てている。林道や池沼の周りなどで昼食の時など、菓子パンの一部を小さくちぎってまいておくと、これがトラップとなって結構アリが採集できる。

 今の職場が富士市の山の方にあり、嬉しいことにかなり状態の良い雑木林が目の前にある。昼休みや空き時間にそこでアリの観察をしているうちに、ある日引っ越し中と思われるアリを見つけた。これが今までに見たことのないアリで、膜翅目の専門家であるI氏を介してベテランの複数の研究者に見ていただいた。このアリについてはこれから精査する必要があるが、いずれ結果をお知らせする機会があるかと思う。かくしてアリとトンボの2つの泥沼に入り込み、もう抜け出せなくなっている今日この頃である。ちなみに最初に突如アリ採集に出かけた6月7日が私の「アリ記念日」である。

 ちゃっきりむし No.170-2(2011年12月15日)

  アサギマダラの戸惑い 清 邦彦

 10月2日に行なわれた吉田町の吉田公園でのアサギマダラ調査会では2頭しか見つからなかった。そこで翌週の10月10日、再び吉田公園に行ってみた。今度はたくさんのアサギマダラが来ていた。しかしフジバカマの群落の前ではカメラマンが三脚を立ててアサギマダラを狙っている。他にもコンパクトデジカメで写そうとしている人、アサギマダラを見て楽しんでいる人もいて、こんな所でネットを振って追い散らしたり、翅に「落書き」でもしたら、集団で非難されそうだった。前日から20頭ほど来ているとのことだった。

 その足で静岡市の丸子に寄った。ここには4箇所ほどにフジバカマが栽培されていて、少なくとも100頭のアサギマダラが飛び回っていた。近くの農家の方がアサギマダラが集まってくることを楽しみに植えたとのこと。観光地でもあるので訪れた人たちも蝶を楽しみ写真を撮っている。訳を説明すればマーキングはできると思うが、大掛かりにやるのは気がひけた。もし標識のあるものがいたら確認のためにネットに入れるに留め、マーキングはひかえることにした。

 近年フジバカマが多く栽培されるようになってきた。自然状態でのヒヨドリバナやアザミとは違い、意図的に植えられたフジバカマにアサギマダラが来るのを楽しむ人がいる場合、配慮しなければいけないと思う。もうひとつ、アサギマダラの移動を調べる目的でフジバカマを植えるとしたら、自然のままの記録とは言えなくなってしまうのではないか、という疑問もある。

 ちゃっきりむし No.170-3(2011年12月15日)

  静岡県周辺の蝶・謎の記録 9
    ―篠井山のフタスジチョウ― 清 邦彦

 えっ、こんなシリーズがあったっけ? 1978年の本誌36号から1980年の45号に連載されて、ありました。小笠山のヒメヒカゲや山梨県のオオルリシジミなど注目すべき謎の記録もあります。その時に書いたつもりが、改めて見直したら掲載されていませんでしたので。

 篠井山(しのいさん)は山梨県南巨摩郡南部町にある標高1394mの山である。1962年の6月、当時県立富士高校の1年生だった時、生物部の同級生仲亀正光氏から「篠井山でフタスジを見た」と聞かされた。当時フタスジチョウは山梨県の三ツ峠山などで知られる程度であって、富士山麓や静岡県東部にははっきりとした記録がなく、その分布が注目されていた。富士川と十枚山の間にある篠井山は急傾斜で岩場や崩壊地も少なくなく、植樹のシモツケと共に、フタスジチョウがいてもおかしくないギリギリの所である。6月17日と時期もちょうどよい。だが問題は目撃しただけで採集していないことだ。コミスジやホシミスジとの見間違いの可能性があった。

 じつは仲亀氏は前年の1961年6月11日に身延町の身延山奥ノ院〜感井坊で1♂を採集していることから、彼の同定眼は信用してもよいと思われる。身延山ではこの年1961年7月9日に高橋真弓氏が採集・確認しており、仲亀氏の標本も筆者が譲り受け、現在も手元に保存している。篠井山の記録に刺激された筆者は翌1963年6月30日、未記録の天子山脈の毛無山に本種を求めて調査に行っているが未発見に終わった。篠井山の方はその後の調査は聞いていない。富士川谷の南限となる篠井山のフタスジチョウの記録は目撃記録で100%確かとは言い切れないためか、富士高校生物部機関誌「すいれん」25号誌上に掲載されただけで、「駿河の昆虫」などには報告されていない。