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<Web ちゃっきりむし 2012年 No.171-174>

● 目 次
 高橋真弓:蝶の学名 ― とくに人名の読み方について気のついたこと (No.171)
 鈴木英文:ビルマの戯言(たわごと) (No.172)
 枝 恵太郎:昆虫専門書店に勤めて (No.173)
 永井 彰:ゲニタリアを調べる楽しみ(No.174)

 ちゃっきりむし No.171 (2012年2月28日)

  蝶の学名 ― とくに人名の読み方について気のついたこと 高橋真弓

 生物の学名はラテン語またはギリシャ語を基礎として成りたっています.蝶の学名についての詳しいことは,平嶋義宏(1999)蝶の学名〔東京大学出版会〕などに詳しく解説されていますので,ぜひご参照ください.
 学名の読み方はラテン語式(ローマ字読みに近い)が原則ですが,ここでは属名や種名にしばしば登場する人名の読み方が問題となります。人名(名詞または形容詞化されたもの)は原則としてその人の本来の呼び方(発音)に基づくことが原則となります.
 ところで,甲虫類の分類学で著名な中條道夫先生が,同氏に献名された chujoi はラテン語式に読むと「クヨイ」となるが,これは「チュージョーイ」と読んでほしいと述べられたことをある出版物で読んだ記憶があります.
 上記の「蝶の学名」という本では,英国人Moore(ムーア)氏を意味する属名 Mooreia の読み方を,ラテン語式の「モーレイア」ではなく「ムーアイア」とすること,また同じ英国人Bate(ベイツ)に因んだ属名 Batesia を「バテシア」ではなく,「ベイツイア」とすることが提唱されています.私もこの扱いに基本的に賛同します.
 さて,この読み方を実際に蝶の学名に適用してみますと,これまで慣習的に扱われてきた読み方を検討する必要が出てきます.

 次にそのいくつかの例をあげてみましょう.
 ウスバキチョウ Parnassius eversmanni は英米式では「エヴァースマンニ」となりますが,献名されたEversmann(Эверсман)氏はドイツ生まれのロシア人ですので,ロシア式に「エーヴェルスマンニ」と読むべきであるということになります.
 また中央アジアの高山に生息する P. charltonius は慣習的に「カルトニウス」と呼ばれていますが,これは英国人Charlton氏に献名されたものですから「チャールトニウス」となります.
 フランス人に献名された場合では,ヨーロッパ産ウスルリシジミ族Polyommatus の一種に P. bisduvalii というのがありますが,これはフランス式に発音されるため,「ボイスドゥヴァリーではなく,「ボアデュヴァリー」と読まなければなりません.
 なお,フランス語では語尾のd,s,t,zなど音を一般に発音しません.例えばジャケモンJaquemont氏に献名された中央アジア産のウスバシロチョウ P.jaquemontii は,tがサイレントとなるので,「ジャケモニー」となるところですが,語尾のtiiを特別に発音して,慣習どおりに,「ジャケモンティー」として発音してよい,という意見もあろうかと思います.
 これと同様な場合が,フランス系ロシア人のMenetries メネトゥリエ氏に献名されたコヒョウモンモドキの一種 Mellicta menetriesi は,「メネトゥリエイ」か「メネトゥリエスィ」かというところですが,このあたりも議論が必要と思います.
 ドイツ人名では,st,またはspと子音が重なった場合,ドイツ語では「s」を無声音の「シュ」と発音しますので,ヒメウスバシロチョウの Parnassius stubbendorfii は「シュトゥッベンドルフィー」,スパイヤーミスジと呼ばれている極東ロシア産の Neptis speyeri は「シュパイヤーイ」と呼ぶことになります.
 ロシア人のロマノフ氏に献名された中央アジア産のロマノフモンキチョウ Colias romanovi は「ロマノヴィ」ではなく,「ロマノフィ」と発音されます.
なお,アメリカ在住の本会会員,河原章人さんのお話では,アメリカでは一般に語尾のiの字は,「イ」ではなく「アイ」と発音され,上記のromanovi では「ロマノフアイ」となるようです.
 以上,学名の人名に関する部分の読み方について気のついたことを述べてみましたが,何かのご参考になりましたらさいわいです.

 ちゃっきりむし No.172(2012年5月20日)

  ビルマの戯言(たわごと) 鈴木英文

 ミャンマーに行きませんか?と東京の静谷英夫さんから最初に誘われたのはたぶん北條篤史会長がミャンマーに行ってきた2003年頃だったと思う。その後誘われる都度、リタイヤしたらとか、今年は都合が悪いから、とか理由をつけて断っていたが、ジャノメチョウ亜科のLethe(ヒカゲチョウ)属を集める以上、どうしても自分で行って生息地を見てくる必要があるのが、Lethe属の分布中心地である北部ミャンマーから中国の雲南省、四川省になる。そのうち自由にネットを振れるのは北部ミャンマーだけとなれば、多少のことは置いておいても行かなくてはならない、と心に決めて1か月の間北部ミャンマー、カチン州に(しかも雨季の最中に!)行くことになった。メンバーは静谷英夫隊長、ミャンマー調査ベテランの阿部東さん、何も知らない私の3名。

 一ヶ月間家を空けることには多少不安があったが大丈夫…、大嫌いな毒蛇やヤマビルがうじゃうじゃいても何とかなる…かも知れない。成田で青森の阿部さんと合流してバンコック経由でヤンゴンに向かう。阿部さんは、静谷隊長と何度もミャンマーに行っているから、阿部さんに付いていけばとりあえずは大丈夫だろう。

 ヤンゴンで二泊したのち空路カチン州の州都ミッチーナに向かう。途中飛行機はマンダレーに寄る。マンダレーはカラカラに乾燥している。今は本当に雨季なのか?ミッチーナに着くと雨は降っていないものの天気は良くない。ここで一泊し装備を整えて出発。途中渡ったマイカ川は濁っていて水量が多い。それでも静谷隊長に言わせるとまだ水は少ないそうだ。マイカ川の支流にある村では砂金を掘っている。川の中州や川岸は掘りつくし、川岸にあった村とそこを通る街道を山側に移転し、その後を掘り返している。かなり多くの人が掘っているが、いったいどの程度の砂金が採れるのか、量は少なくてもそれで暮らしていけるのだろう。中国雲南省との国境、パンワまでの中間点チプイで昼食、北條氏が来た2003年はここまで来るのにえらい苦労をしたそうだが、半日でここまで来れるとは楽勝。このままパンワまで一気に行けば午後6時か7時には着けそう、と思ったのはやっぱり甘かった。ここまでは順調だったが、雨が降り始め3時間進んだ山の中で崖崩れ通行止め、そこでは中国が巨大な水力発電所を建設している。また3時間かけてチプイへ戻り泊る。マラリアの薬を飲んで早々に蚊帳を吊ったベッドに潜り込むが、マラリアの薬を飲んだ日は肝臓に負担がかかるため、酒が飲めないのがつらい。

 翌日やっと着いたパンワの町、ここではミャンマーの通貨チャットは使えない、これから行く中国との国境沿いの地域では中国元しか使えない元経済圏だ。泊った陽光酒店(サンシャインホテル)という名前だけ立派な中国資本のホテルは、シャワーは水しか出ない、便器の便座は無い、水洗の水槽は穴があいていて洗面所は水浸しになると前途多難、しかし静谷隊長や阿部さんは当然といった様子。そうなのか、これが普通なんだ。ここで日本から持参した携帯電話が突然使えるようになる。ヤンゴンでもミッチーナでも使えなかったのに中国経由で日本まで直通だ。国境沿いの中国側に携帯電話のアンテナが並んでいるのだろうか。ホテルの横の道の向こう側に柵があり、その向こうは中国(本当はそのもう何キロか先が本当の国境だったそうだが)、毎朝中国国境警備隊の訓練の掛け声が目覚まし代わりだ。

 天気は降ったりやんだり、まともに太陽を拝める日はない。そんな中でも蝶は飛ぶ。しかし豪快に飛ぶアゲハチョウ科やタテハチョウ科はほとんど見られない。ちまちましたウラフチベニシジミ属やウラナミジャノメ属、スジグロシロチョウ属などの小型の蝶ばかりが飛ぶ。目的のLetheはなかなか現れない。しかし蝶以外はなかなか面白い。約2mにも伸びる腐生ラン(日本のツチアケビの仲間)が直径5〜6pもある黄色い花を沢山つけている。岩場に咲いている大きな4弁の白い花は(白い部分は花弁ではなく苞であるが)モンタナ・ルーベンスというクレマチスの原種だ。ツリフネソウにウメバチソウ、シャクナゲも白や赤や色々ある。オサトラップにはオサムシのかわりにトガリネズミが入っている(これはアルコール漬けにして持って帰る)。ヘビもずいぶん見かけた。大きな岩の下にいる三角頭の極悪そうなヘビはやばい!後から来る人への注意とするために木の枝を折って道の真中へヘビの方に向け目印を作る。ヘビは嫌いな人のところに寄ってくるのだろうか。しかし今回雨季にもかかわらずヤマビルにやられなかったのが幸いだった。

 パンワから北方にまた丸一日かけてカンファンに行く。ここでは川が中国との国境。ミャンマー側は未舗装のデコボコ道、対岸の中国はコンクリート舗装のしっかりした道だ。カンファンで見たこともないLetheが採れる、すわ新種か?とりあえずLethe abei(アベクロヒカゲ)*1)と名づける、ミャンマー未記録のLethe manzorum(マンツォルムキイロヒカゲ)が採れる、最後にまたパンワに戻って、前年1頭採れて新種記載をする予定のLethe akibai(アキバヤマクロヒカゲ)が複数採れる。また見たこともない変なLetheが2種採れる。Lethe suzukii(スズキヒカゲ)*2)にしてもいいかなア・・・?

 とうとう最後にやった!けれど・・・Lethe akibai以外はすでに記載されていた!残念。
 最後に静谷隊長の「お前はLetheを採る以外何の役にも立たなかった。」という総括で今回の長期遠征は終了した。

  *1)2008年にLethe kazuichiroi として記載されていた。
  *2)ひとつはLethe serbonis の矮小個体、もうひとつはやはり2008年昆虫専門書店に勤めてにLethe kouleikouzana として記載されていた。

 ちゃっきりむし No.173(2012年9月28日)

  昆虫専門書店に勤めて 枝 恵太郎

 2年ほど前、家庭の事情から20年ほど勤めた会社を退職し、平日は横浜の実家から通勤、週末は静岡の自宅で過ごす二重生活を始めました。転職先は昆虫専門書や採集用品などを販売する「昆虫文献六本脚」。前職は技術職でしたが、今回は営業職への転向となりました。
 六本脚はWEB通販主体の会社ですが、店舗もあります。今回は昆虫専門書店の一日と、この業種について思ったことを簡単にご紹介することにいたします。

 書店の一日は、まず朝一番にお客様からの注文や問い合わせメールの仕分けをした後、当日の役割分担を確認します。私は主に国内外の仕入、海外からの注文や専門的な問合わせについて担当しており、可能な限り午前中にメール返信をしています。午後からは店舗が開店します。来店されるお客様は様々で、一番多いのは、いわゆるオジサン虫屋です。ただし、最近は幼虫ブームもあいまって、一人で来店される若い女性も目立ちます。また、夏休みはお子様をつれた若い夫婦、小中高生の友人同士や大学の昆虫サークルの方の来店もあります。また午後は接客の合間をぬって、アルバイトとともに出荷作業を行います。このような日常は通常書店とあまり変わりはないと思います。夕方までの来客が一通り終わるとWEBなどで注文されたお客様へ見積をさしあげます。私は在庫のチェックと仕入のための発注をします。ここまでが一日のおもな仕事ですが、この合間に新着図書や用品のWEBへの掲載や、フェアや学会出店、新規商品開発などの企画の業務が入ります。

 私の虫を始めるきっかけは、前職であった生物調査業務にありました。虫を始めた頃は、とにかく図鑑や学会誌を揃えなくてはと、「TTS昆虫図書」(ご存知だった方も多いと思いますが)で各種図鑑や学会誌のバックナンバーを購入しました。購入するたびに送られてくる「TTS昆虫図書情報」は毎回スミからスミまで目を通して、必要な昆虫の記録にはマーカーを塗ってチェックしていたことは、今となっては懐かしいかぎりです。

 転職にあたっては、子供の頃から書店や古書店に長時間入り浸っていたこともあり、書店で働くという選択肢は自然であり、またお世話になった「TTS昆虫図書」の後を継いだ「昆虫文献六本脚」に職を得たことは、ある意味人生の流れだと思っています。とはいえ、20年勤めた業務とは全く異なる業種のため、毎日が勉強の日々となっています。中でも特に勤め始めて感じたことを書いてみます。

1.書店の粗利は少ない
 書籍や用品の価格は様々ですが、高額な商品でも10万円を越えるものはほとんどありません。特に同好会誌や標本・採集用品は仕入先が多岐に渡り、古書も含めた取り扱い商品の点数は数万点にものぼります。WEB上でいわゆる「買い物かご」を設置できると良いのですが、この商品点数の多さとお客様の注文数に合わせた送料の積算が自動的にできないことが、「買い物かご」の設置を阻んでいます。また、仕入先数も膨大となり、仕入から販売、代金回収の手間を考えると書籍・用品の1点あたりの平均利益率は10%あるかないかではと思います。まさに薄利多売の世界です。最近は、活字離れの傾向もあるので、書籍販売はたいへん厳しい状況にあります。

2.ガイジンさんのご来店
 欧米では日本を含むアジアの書籍が入手しにくいためか、学会などに出席した翌日や、ビジネスで来日したついでに立ち寄っていただく方が多いようです。また、日本の採集・標本用品の品質がすぐれていることもあり、頼まれて買いに来たという方も結構います。頼まれた方は昆虫が専門ではなく、お互い第二外国語での会話となるので、意思疎通が非常に難しくなります。 昆虫の専門の方ならば、虫の名前や用品については万国共通なので、意思疎通はしやすいです。

3.職業病
 書店に勤め始めてからというもの、他の一般的な書店に行くとつい昆虫関係コーナーの品揃えや展示・配列の仕方、ポップの作りこみなどを確認します。地方の書店などで、六本脚に在庫が無い本や、すでに絶版の本があったりすると買おうかどうか本気で迷ってしまいますし、レジでの支払いの際は、店員の一挙手一投足を観察してしまいます。たまに同業のM社などに行きますが、そこのスタッフの方と話をしていてお客さんが来店した時は、つられて「いらっしゃいませー」などと言いそうになりました。

4.仕入れの難しさ
 これは売れるなと思われる商品は、まとめて仕入れます。トントン拍子で売れていき、残り2冊くらいで次の仕入を考えるのですが、まだ売れると踏んで多く仕入れたとたんに注文が止まってしまったり、販売元からの供給が滞ったり、さらに次々と注文がきてお客様に待っていただくことになったりと、毎日こんなジレンマで心を痛めています。このほか、海外からの取寄品は、為替レートや通関も絡んできて、送料、送金、価格の設定などに時間がかかります。また、ラフに梱包されて海外から到着した荷物をあけてみると、ほとんどの書籍の角が潰れていたり、 商品がインボイスどおり入っていないなど、お客様に長期間待っていただいている商品に限って起きる非常事態に、泣きたくなるようなことも日常茶飯事です。

 このご時世どこの業界も厳しいと思いますが、来店した子供や学生が一生懸命に標本を見たり、図鑑を選んだりしている姿を見ると、この仕事に就けて良かったなと実感します。

 ちゃっきりむし No.174(2012年12月18日)

  ゲニタリアを調べる楽しみ  永井 彰

 チョウの採集を日本国内でやっているうちは、ゲニタリア(交尾器の形態)を調べないと種名が分からないという問題はほとんど起こらない。日本の図鑑は大変優秀で、図版もカラーで雌雄とも表裏が示され、近似種との区別点は丁寧に説明がされている。その上、一般の人には利用は少ないと思うがゲニタリアの図が種ごとに付いている。

ところが、外国にでかけて、チョウの採集をはじめると、よく似た種類がたくさんあり、どこで区別しているのか迷うものが、少なからずある。私の経験では2003年にモンゴルに採集に出かけた。生まれて初めてアポロウスバシロを採集して感激したが、これ以外に、コヒョウモンモドキの仲間もかなり採集できた。しかし、コヒョウモンモドキ類を調べるとき、手もとにあった図鑑はクレンツォフの「極東のチョウ」(1988)(阿部光伸訳、白水隆監修)しかなかった(この本は白水氏によって多くの間違いが指摘されている)。

クレンツォフの図鑑に載っているチョウの図は写真ではなく、絵描きによって描かれた絵が載っているだけで、細部は分からない。その分、各属の解説のはじめに種の検索表がついている。これを見れば、各種の区別点が分かるのかと思い、斑紋から見て、アトグロヒョウモンモドキ(Melitaea cinxia)やギンボシヒョウモンモドキ(Melitaea diamina)のところを覗いてみた。この検索表の初めのところを示してみよう

 ヒョウモンモドキ属 
  1(16):側面からみた場合、valvaは横長の楕円形をしている。
       長い末端突起(apophisis terminalis)を持つ。
  16(1):valvaは比較的幅広く、四角形、あるいは三角形をしている。
       valvaの末端突起は短い(図75)
と書いてあった。1のグループにM.cinxia, M.diaminaなどが属し、16以下のグループにはM.phoebe,(フォエベヒョウモンモドキ)、M.centralasiae(アジアヒョウモンモドキ)など が属すると書いてある。

 更に検索表をたどって、次の2(9)を見ると、
 2(9):valva(バルバ)末端の突起は長くて細く、先が尖っている。
    harpe(ハルペ)は細いが鎌状にはなっていない(図75)。 
という記述が続く。

 ここに出てくるバルバ・ハルペとは何者か? お分かりだろうか?
 これはゲニタリアの部分の名称である。クレンツォフは「俺の図鑑で種名を調べるには、ゲニタリアぐらい勉強しておけ」と云っているようで、線書きながら多くのゲニタリアの図が示されていた。

 2003年にモンゴルで木村春夫さんと採集した時、この話が出て、モンゴルのチョウについてもゲニタリアは調べておく必要があると云われた。木村春夫さんは当時、日本鱗翅学会の副会長で、中央モンゴルの蝶類(五十嵐由里編)の著者の一人である。残念ながら彼は2005年に亡くなったが、彼の遺志をついでご子息の木村系さんが静昆のゲニタリア勉強会に連続参加されている。

 しかし、ゲニタリアの扱いは複雑だし、その見方も慣れないと難しい、例えばバルバを顕微鏡で見ても前後・左右・裏表がわからないとほかの種類と比較ができない。そこで、これまで論文に多くのゲニタリアの図を描いておられる高橋眞弓先生に、ゲニタリア勉強会をしたいので、講師を引き受け下さい、とお願いした。これが2004年の8月から静昆の行事になり、2012年で第9回になる。ゲニタリアの処理法や基本構造が分かると、これまで図鑑に描かれているゲニタリアの図の意味が分かるようになる。

 モンゴルのチョウで私が経験したのは、ウルミカラスシジミ(Fixsenia ulmi)についてのことである。このチョウは中央モンゴルの蝶類(2001)には載っているが、ロシアなど他の図鑑には扱われずカラスシジミのシノニウム扱いらしいと思っていたが、チコロベッツらが2009年に書いたモンゴルのチョウの図鑑には独立種としてカラスシジミの次に掲載されていた。樋田&五十嵐のウルミカラスの記載文にはゲニタリアのことには触れられず、図もないので、昨年のゲニタリア勉強会の時に材料を集めて調べてみた。

 ただ日本産のカラスシジミは現在簡単には採集できないので、北海道の友人らに頼んで標本を送ってもらい、カラスシジミとウルミカラスシジミのゲニタリアの比較を行ってみた。この2種は翅の斑紋の相違は僅かだが、ゲニタリアを見ると一見して異なっていた。ユクスタという部分の先端がウルミは尖るのに、カラスでは丸く、これに太く長い剛毛が生えている。ウルミカラスのゲニタリアの形態を掲載している文献は見当たらなかったので、これの顕微鏡写真とスケッチを仕上げ、ウルミカラスを記載した五十嵐由里さんが編集しているインセクトマップオブ宮城という雑誌に投稿した。この原稿は2012年6月にインセクトマップ36号に掲載された。

 このようにゲニタリアを調べると翅の斑紋とは別の違いを発見することもある。しかし万能ではなく、相違点の見られないケースも多いし、その形態には個体差もある。またゲニタリアの標本を作る時、習熟していないと標本の一部を見失ったり、破損させてしまったりすることもある。しかし顕微鏡の下で、柄付き針2本で行うゲニタリア標本作りは、大変繊細な動きが必要だが、技術が向上し、良い標本ができるとそれだけでも楽しみになるようである。