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<Web ちゃっきりむし 2013年 No.175-178>

● 目 次
 高橋真弓:今日の静岡昆虫同好会 (No.175)
 浦山幸夫:「竜勢の高度」  (No.176)
 白井和伸:雨生湿地のヒメヒカゲ (No.177)
 相澤和男:日本のカラスアゲハ(No.178)

 ちゃっきりむし No.175 (2013年3月10日)

  今日の静岡昆虫同好会 高橋真弓

 「森永ミルクキャラメル」というお菓子があります.その広告はあの大相撲にも登場します.商標のデザインは戦前のままで,その後の世の中がどう変わろうとも一貫して昔のままです.「静昆」もそれに少しばかり似たところがあるようです.

 静岡昆虫同好会は今年で60年目となりますが,1953年の創立以来,今でもまったく変わっていないところがあります.
 まずその主要な目標は,静岡県を中心とする地域に棲む昆虫類の分布・生態を明らかにして,その正確な記録を残すことです.近年多くの会員が外国へ調査に出かけるようにはなりましたが,その基本方針はまったく変わっていません.
 その蝶類部門では,2004年に50年間の成果をまとめた「静岡県の蝶類分布目録」(1367ページ)が出版され,それは環境調査の分野で県の内外から高く評価されています.

 会の名称も会誌「駿河の昆虫」の名称も,そして会誌の通しページ,元号を用いず西暦を用いていることなども一貫しています.ともすれば首都圏などの人たちからは,「静昆はお固い会だ」とか「ドイツ的で融通のきかない会だ」との評判もあるようです.
 しかし他の一面において,「静昆」はきわめて自由な会だともいうことができます.
 会員の職業はもとより,学者・ビジネスマン・官僚・教育者・IT技術者・職人・旅行マネージャー・芸術家・ジャーナリストなど,会員の資質・傾向はまことに多様性に富んでいます.
 また思想的には唯物論者から宗教者まで,政治的には自民党支持から共産党支持まで大きな幅をもっています.
 会員各自がどんなものの考え方をもっていても,会の主要目的に賛同するかぎり,まったく自由であり、また会長を含めて皆平等です.
 私たちは自然界の多様性を尊重すると同時に人間の多様性を尊重しなければなりません.それが失われると,今日に見るような蝶類学会やいくつかの地方同好会のように分裂がおこります.

 昆虫の世界の変化を正しく理解するには10年を単位とする時間が必要ですが,昆虫同好会の存続にもこのような「息の長さ」が必要ではないでしょうか.
 ところで,私たちの静岡昆虫同好会にも会員の高齢化の問題があります.会員の平均年齢は年とともに高くなり,10年後にはこの会はどうなっているのか,ということも現実の問題となっています.
 これはなかなかの難問ですが、各地でさまざまな団体の行なう野外観察会などにも積極的に関わり,またときには自前で子どもたちのための観察会や勉強会などを開くことも必要になるかもしれません.
 そして,会のホームページを中心に若い年齢層に向けて情報を提供し,若い人たちから見ても魅力の会にすることです。このような方法を活用して若々しい活動を進めている会が首都圏などに見られます.
 今日進められている県立の自然史系博物館建設への積極的協力も,静岡昆虫同好会の今後の発展と深く関わっているのではないでしょうか.

 ちゃっきりむし No.176 (2013年5月20日)

  「竜勢の高度」 浦山幸夫

 主題からして虫の話題で無いことをお詫び致します。
 「何か蛾の話題を原稿用紙5枚2000字程度で」と編集のS氏より機会を頂いた。原稿を書くにあたり、ちゃっきりむしを読み返してみた。虫を主題にして書き慣れた読み易いうまい文が並んでいる。私は長い文章が苦手だが長さも丁度いい。稀に複数号わたる猛者もいる。

 時々出てくる海外の採集紀行(奇行)などは土砂崩れとか大雨等で難渋苦行した件が楽しい。虫の海外出張の経験は無いが、標本は数箱持っている。全て皆さんからのお土産(卓上採集)の成果です。ありがたい。

 さて、日本に蛾は何種類かとよく聞かれる。キリがいいので「蝶は250種、蛾はその20倍5000種」と答えてきた。しかし頭打ちの蝶を尻目に蛾は新種発見と分化(1種だと思っていたら複数種だった)を繰り返し80科6000種に届いてしまった。今後暫くは蝶の24倍。

 蛾の話題と言えば約30年振りに図鑑が続々と刊行されています。小学館の標準図鑑がそれで平成25年4月末現在3巻まででています。何の協力もできないが購入させて頂き便利に使わせてもらっている。大蛾類(ヤガ科シャクガ科他大きい蛾の仲間)については問題なく使えるが、まだ小蛾類の大きなグループであるメイガ科とハマキガ科が未刊の為この分野は大図鑑(1982)に頼らねばならない。全ての蛾類を網羅した図鑑を早くみたい。

 話は変わりますが、私も含め虫屋は一般生活には何ら必要の無い事項でも創意、工夫、調査等に手間をかける地道な探究心が顕著だと思います。新産地の発見とか食樹の発見生態の新知見など全て虫についての探究心の結実だと思う。そのような事柄を書き出してみます。

・軟化展翅
 昆虫関連のカタログには軟化剤として高純度蛋白質分解酵素剤が載っているが以前に蛾の機関誌にも、軟化展翅についての報文の記載があった。軟化にはたんぱく質分解酵素が有効と言う一点で大根おろしの上澄み液とかイチジクの果実の白い乳液などが試されていて保存法についての説明もあった。まねをして試してみたが、かなり有効でした。さらに何処からか、たんぱく質分解酵素=胃腸薬となり今や一般に知られている。これなども創意工夫、探究心の一環だと思う

・竜勢
 静岡市清水区草薙神社のお祭りで打上げられる花火に竜勢花火があります。私の地元、藤枝市(旧岡部町)朝比奈地区にも同じような花火があり、2年に1回10月半ばに打ち上げられます。要は花火玩具の「流星」の火薬量を3kgに増やし全長を17〜18m程に伸ばしそのまま落ちると危ないので落下傘を付けた代物です。

 以前からこの花火の打上げ高さが気になっていた。1985年岡部町発行の報文では「400mまで上昇する。」との記載がある。2006年に放送されたNHKの番組ではナレーションが入り「上空300mまで上がる」とあった。どちらにも根拠の説明は無かった。どうしても気になるので勝手に測ってみた。竜勢花火が鉛直に打ち上がったと仮定して計測点から発射台〔ヤグラ〕までの距離に花火を見上げた角度のtanθを掛ければ出てくるはず。花火の数日前に距離を測る。きりがいいので600m地点を探す。300m上がればθは26.6°のはず。これ位の角度の方が測り易いし、誤差も少ない。世の中には赤外線レーザーを使い小型ハンディタイプで距離と高度が共に測れる製品があるが、高価だし、予測し難い花火を追尾出来るか疑問なので買わない。幸い仕事柄、反射鏡を使う旧式の光波距離計がある。まだ立入自由な発射台に反射鏡を貼り付け移動しながら発射台までの距離を測る。三脚を担いで田圃中の道を歩いても秋の田園風景を写していると思うのか、誰も気にしない。600m地点にマークして引き上げる。

 花火当日、無風快晴、三脚にトランシット(角度計)をセットし角度を測る。多くの人達は花火の400m圏内に入るので計測点付近の人影は少ない。打上げは正午より夜の9時まで続く。刈取の終った田圃にテントを張り卓袱台を広げ友人と宴会のついでに角度を測る。概ね15分に1本のペースで打上げられる。途中で破裂した物やこちらがトランシットで追尾し損ねた物を除いた計測結果が下表です。

項目       A      B    C    D    E    F
角度θ      17.9°  12.9° 19.7° 19.1° 17.4° 15.6°
高度換算値  194m  137m  215m  208m  188m  168m

項目        J     H    T    J    K
角度θ     19.0°  20.8° 21.4° 20.5° 26.1°
高度換算値  207m  228m  235m  224m  294m

 結論として上空300mは難しく「平成24年の竜勢は200m内外まで上がった。稀に300m近くまで上がる物もあった」が正しいようである。

参考文献  
大図鑑(1982)講談社 日本産蛾類大図鑑
標準図鑑(2011)小学館 日本産蛾類標準図鑑
朝比奈の竜勢(1985) 岡部町教育委員会

 ちゃっきりむし No.177(2013年9月20日)

  雨生湿地のヒメヒカゲ 白井和伸

 2013年6月8日、浜松市北区三ヶ日町の雨生湿地一帯で、観察会を兼ねてヒメヒカゲのマーキングを実施した。本会会員9人を中心に、静岡県自然保護課から2人、天竜森林管理署から2人、NPOから本会会員以外に3人参加した。

 ヒメヒカゲは環境省のレッドリストでは絶滅危惧1A類、静岡県のリストでも絶滅危惧1A類とされている。静岡県における分布は遠州地方に限られるが、元々数少ない産地の多くが失われ、現在県内で確実に発生しているのはこの雨生山一帯だけであろう。

 県の自然環境保護検討委員会の昆虫部会の中でこうした現状と保護対策の必要性について意見を交換してきたが、2012年の冬になって次のことが判明した。県立自然公園の特別地域内で捕獲・殺傷が禁止される種の一つとしてヒメヒカゲが平成19年3月から指定されていること、雨生山の生息地一帯は浜名湖県立自然公園の特別地域に含まれていること。つまりヒメヒカゲは県の条例上採集禁止になっていたのである。このことはごく一部の関係者以外知られておらず、世間のムシ屋、チョウ屋で知っている人はおそらくいなかったのではなかろうか。筆者も知らなかった。

 これでは指定した意味がないと思い、学会誌や商業誌等広くムシ関係者の目に触れるよう広告を出すことを自然保護課に提案した。「月刊むし」「昆虫と自然」「ゆずりは」等で広告をご覧になった方も多いと思う。蛇足ながら、「ゆずりは」主催者の杠さんからは、広告だけでは面白くないので、現状の紹介記事を書くよう依頼があり、小生が拙い文章を寄せた次第である。

 捕獲・殺傷禁止が周知された最初の発生期を迎え、個体数がどれほどいるか現状を把握するためにマーキングを計画した。これに自然保護課職員が参加、さらに自然保護課として今後の維持管理について検討したい、と、自然保護課職員から地主である森林管理署(一帯は国有林)に声をかけていた。それが冒頭記した6月8日のことである。マーキングはもちろん県の許可を得ている。

 事前調査として、5月31日午後、発生状況を確認するため筆者一人で現地を訪れた。すでに発生しており、40分程度で9♂3♀にマークした。6月8日当日は湿地と尾根方面と大きく二手に分かれた。合計20♂12♀にマークしたが、5月31日及び当日マークされた個体の再捕獲はなかった。捕獲・マークできなかった個体が各自いくつかあるので延個体数は50頭を超えると思う。再捕獲がないことは意外であった。それほど広くない産地の中を広く散らばっているのだろうか。県の許可次第であるが、個人的には来年以降もマーキングを続けて推移を見守りたい。

 発生地保全の例として、愛知県豊橋市の葦毛湿原では豊橋市が植生回復事業に取り組んでいる。ササやススキの地上部だけ刈り取るのではなく、根を除去するため区画を決めて順繰りに掘り起こし抜根している。現在事業の最中なので、現地へ行けばパッチ状に表土がむき出しになっているところを見ることができる。何年計画で取り組んでいるかわからないが、対症療法としてはここまでやれたらすばらしいと思う。東播磨地区でも産地保全の取り組みが行われている。

 雨生湿地に関しては、最低でもササとヨシの刈り取り、潅木の枝打ちは必要であろう。緊縮財政の折、森林管理署や県が予算を付けるとも思えない。現実的にはボランティア活動ということになると思う。自分としては、シーズン中は勘弁願いたいが、秋から冬ならささやかながら労力を提供しようと思っている。

 当地は静岡県としては唯一の産地であるが、地形的には愛知県新城市からひと続きの産地である。愛知県では種指定しているが、新城市の産地において監視活動とか保全活動とか、何かしている様子はない。行政区画はムシたちには何の関係もないことなので、静岡県と愛知県とで保護・保全活動が同一歩調を取れないものかと思う。

 1970年代、浜松市内では浜松医科大学から日体高校にかけて、湖西市では梅田湿原に健在だったが、いつでも採れると思い採集に行かなかった。本種の幼生期の調査を始めた80年代初め、標本を一つ二つ作っておこうとこれら産地を訪れたが、既にいなくなっていた。結局自分では旧浜松市と湖西市では採集したことがない。

 静岡・愛知県では規制され、かといって遠くまで採集に行こうとは思わないので、今後国内で本種を採集する機会はないだろうと思うと少しさびしい。採集はしないで観察のみ、とか、写真撮影専門という方もいらっしゃるかもしれないが、自分は煩悩が抜けないのだろう、実際に採る採らないに関係なく、採りたいと思った時にはいつでも採れるようであってほしかった。

 ちゃっきりむし No.178(2013年12月15日)

  日本のカラスアゲハ 相澤和男

 私がまだ子供であった50有余年前には、日本のカラスアゲハは全てPapilio bianor とされていた。1965年に出版された白水隆著の日本の蝶によって、初めて奄美大島・沖縄本島産そして八重山の斑紋が異なることを知ったと同時に、沖縄本島産にはP.bianor okinawensis、八重山産にはP.bianor juniaの亜種名が用いられており、奄美大島産を別亜種とするかどうかは更に検討を要するということを併せて知った。東京都八丈島産にspp.hachijyonis、沖縄県八重山諸島産にspp.junia、そして沖縄県沖縄島産にspp.okinawensisの亜種名が与えられていた。

 その後、藤岡知夫氏によりに日本産蝶類大図鑑において奄美群島産にspp. amamiensis、トカラ列島産にssp. tokaraensisの亜種名が与えられたのは、1975年のことである。阿江茂氏を始めとして浜祥明氏等により盛んに異産地間の交配実験が行われ、1976年に若林守男氏等は改訂版原色日本蝶類図鑑において沖縄本島並びに属島に分布する個体群を独立種としPapilio okinawensis okinawensis(オキナワカラスアゲハ)の名を与えた。以上の経緯は吉本浩氏がButterflies 20号(1998)に詳述されている。

 一方、八木孝司氏等は盛んになりつつあったミトコンドリアND5の検討により、クジャクアゲハ"P.polyctor "と大陸産のカラスアゲハP.bianorとの間には差異がなく一つの群であること、並びに日本本土産カラスアゲハP.dehaanii群、奄美・沖縄群そして何故か八重山諸島群の4群と考えられることを蝶類DNA研究会ニューズレター他で報告されている(1998-2006)。また、藤岡知男氏はこの結果をもとに日本産蝶類及び世界近縁種大図鑑(1999) においてP.bianor と"P.polyctor"を同種とし、更に白水隆氏(里中正紀氏)は2006年に日本産蝶類標準図鑑においてP.bianorP.dehaanii 、そして沖縄本島・奄美大島産を独立種としP.ryukyuensis の3種に整理した。基本的にはこれで良いと考えられたが、その記載根拠が非常に曖昧であった。更に2010-2012年にかけて日本昆虫学会の名称分類においても同様な扱いが認められるが、その根拠は明らかにされていない。

 私自身長年に亘りカラスアゲハ近縁種の交配実験を行ってきて、その全貌の一端が明らかになってきたのでここに紹介したい。

 日本本土産のP.dehaaniiと呼ばれるものについては北海道産♂と三宅島産♀、北海道奥尻島産♂と五島列島福江島産♀、そして三宅島産♂とトカラ列島諏訪之瀬島産♀の間で兄妹交配を行ったが、何の支障もなくF2を多数得ることができた。

 P.dehaaniiと呼ばれるものとP.ryukyuensisと呼ばれるものの間では、P.dehaaniiとして静岡県富士宮市産を用い、P.ryukyuensisとしては鹿児島県奄美大島産(ssp.amamiensis)と、沖縄県沖縄島産(ssp.ryukyuensis)を用いたが、兄妹交配によりF1は容易に出来るが、F2はできていない。

 最も南に産する個体群に与えられたP.bianorに対しては沖縄県西表島産を用い、P.dehaaniiとして北海道札幌産を用い、P.ryukyuensisとしては沖縄県沖縄島産のものを用いた。P.dehaaniiとの交配では立派なF1が容易に出来てくるがF2は出来ていない。P.ryukyuensis♀との交配ではF1は容易に出来、♂は外観的に立派な個体だが♀は全て矮小型であり、F2は出来てこない。

 以上の結果から、日本産のカラスアゲハ近縁種をP.dehaanii(日本本土産)、P.ryukyuensis(沖縄・奄美産)、P.bianor(八重山産)と分類されることに大きな異論はない。しかし、P.ryukyuensis(沖縄・奄美産)については、ssp.ryukyuensisとssp.amamiensisについての交配実験を継続して進めており、その結果によっては両者が別種になる可能性も秘めている。

 ミトコンドリアND5を用いた分類で、更に興味のある結果がFabin L.Condamine等によりCladitics誌上に本年報告されている。それによるとP.bianorの中で東端に分布する八重山産P.bianor okinawensisにもっとも近縁なものは台湾産でも中国本土産でもなく、西端のカシミール産のP.bianor polyctorとされている。俄かには信じがたいことではあるが、塩基配列の同じ場所で同時期に両者に突然変異がかってあり、それも分布の両端で起こったということは種云々の見解とは異なったもので、分布拡大の観点からの注目を必要とすると考えられる。或はそのような面白い問題ではなく、どちらか又は両者にアーテイファクトがあったのかも知れない。

 私の種に対する考え方は子孫が残せるということであり、そのためには兄妹交配によりF2が多数出来ることだと考えている。今までの報告を読むとF1を戻し交配によって出来た♂又は♀に生殖能力があるといった文面に出会うことがあるが、同一種の中で近交系を作出しているわけではないことを念頭に置く必要がある。つまり、種Aと種Bが同種同士の交配ならばF1は両親の遺伝子と同じであるので、F1とA或はBとは交配しても容易に多数のF2が出来るはずだが、種Aと種Bが別種の場合にはF1は両親の遺伝子を半々に受け継いだ別種(オリジンの種ではない)と考えられる。この場合、F1とA或はBと交配してもいずれも別種同士の交配と考えられるため、F1の♂或は♀に生殖能力があるといっても余り意味がないように感じる。何故なら明らかに別種同士の間にもF1が生じることはミヤマカラスアゲハ×キアゲハを初めとして広く知られているからである。