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<Web ちゃっきりむし 2016年 No.187-190>

● 目 次
 諏訪哲夫:会長就任のごあいさつ(No.187)
 多々良明夫:ラオスな日々 その1 (No.188)
 多々良明夫:ラオスな日々 その2 (No.189)
 松田陽二:インドで蝶を追う(1) (No.190)

 ちゃっきりむし No.187 (2016年3月)

 会長就任のごあいさつ  諏訪哲夫

 昨年4月、前会長の北條篤史氏が逝去されましたが、その後任として私がお引き受けすることとなりました。当会の創立者でもあり初代代表の高橋真弓さんや広い人脈のあった故北條篤史さんには遠く及びませんし、重い責任を感じますが、これまでの伝統を守りつつ、微力ではありますが会の運営をしてゆきたいと思いますのでご協力のほどよろしくお願いいたします。

 私事ではありますが、1942年生まれ、1952年ころからチョウに興味をもち、多くの先輩にご指導をいただくとともに、友人の協力・助言のもと郷土のチョウ相の解明と海外のチョウの調査も続けております。また、2001年からは事務局として高橋真弓さんから引き継いでお手伝いさせていただいております。

 当同好会は、1953年に創立され今年で63年になります。この間、富士山の草原性チョウ類や南アルプスの昆虫類などをはじめとする郷土の昆虫相の調査を精力的に行ってきました。1955年に県下で突発的に大発生したクロコノマチョウ、富士山のウスバシロチョウや県全域におけるムラサキツバメ・サツマシジミなどの分布拡大の調査のほか、近年衰退が著しい在来種の調査も力を入れて行っています。

 同好会活動の中心である会誌「駿河の昆虫」の発行は253まで継続的に発行し、海外昆虫調査報告書「ゴシュケビッチ」も4までを発行することができました。また、これまで一般県民を対象とした観察会や展示会なども行ってまいりました。 このような長年の地道な同好会の活動が公に認められてこのたび第29回地域文化活動賞(静岡県文化財団主催)を受賞いたしました。このことはひとえに会員皆様の普段の活動の賜物と思っております。

 近年、昆虫がめっきり減っております。地方の同好会の活動としましては昆虫の生息状況やその推移を継続的に的確に把握することが重要であります。幸いなことに本年3月26日には自然系博物館「ふじのくに地球環境史ミュージアム」がオープンします。公の機関や県民などとも連携して調査研究を進め、静岡昆虫同好会の活動がより発展し、ひいては自然史解明の一助となるなど地域社会に貢献していくことを願っております。

 ちゃっきりむし No.188 (2016年5月)

 ラオスな日々 その1  多々良明夫

 2015年6月末に4度目のラオスの地を踏んだ。過去の3回は長くて10日の短い滞在だったが、今回はラオスで生活し、仕事をしに来た。2014年4月、定年退職の年度を迎えた時、JICAシニアボランティアの春募集に目を奪われた。ラオスの国立植物防疫センターで所蔵する害虫の分類と植物検疫の支援をするという内容、長年静岡県の農業関係研究機関で害虫の研究に携わってきた自分には、まるで私のための募集に思えた。

 なんとか選抜試験に合格すると、ラオスに行く前にラオス語の猛特訓である。福島県二本松市の研修所で1ヶ月間罐詰となりラオス語を勉強した。3回もラオスに行っているのにラオス語はサバイディー(こんにちは)とコプチャイ(ありがとう)くらいしか知らなかった。ラオス語は母音が27、子音が28あり、しかも上にイントネーションの印が付くと意味が変わるのだ。年寄りには辛い勉強だったが、なんとか読めるようになった(すべての意味は分からないが・・)。ラオス語はタイ語に似ていて、60%くらいは通じるという。しかし、隣国のカンボジア語、ミャンマー語、ベトナム語とは随分異なっている。文字が読めるようになったがラオス語を話すのは世界でかただか650万人だけと思うと損な気がした。

 植物防疫センターは首都ビエンチャンの中心からバスで30分ほど行ったところにある。職場での仕事言語は英語ということだったが、行ってみると昆虫科の5人の内英語が出来るのは副科長一人だけだった。しかも、私が赴任した次の週、彼が2ヶ月の出張に出てしまった。残った人にはラオス語しか通じない。辞書を片手に悪戦苦闘する毎日だった。彼の2ヶ月の出張とは移動するイナゴを追いかけて調査する仕事だった。ラオスでは2014年から Yellow-Spined Bamboo Locust(Ceracris kiangsu)というイナゴが北部で大発生して問題となっていた。この種は過去に中国で大発生し、その後ベトナムに侵入、そこからラオスにやってきたらしい。いわゆる移動性のバッタで、サバクトビバッタのように植物を食べつくしながら移動する。この種が相変異するかどうかは分から ないが、研究員が採集してきた個体はかなり濃い緑色だった。本種が最も好きな植物は名が示す通り竹である。だが、それを食べ尽くすとバナナ、イネに移動する。それらに大被害が生じていたのだ。この調査にはFAOが資金援助しており、昆虫関係者だけでなく職場全体で対処にあたっている。まさに植物防疫センター最優先の仕事となっていた。

 その間私は黙々と標本の整理をしていた。センターにある271箱の標本を全てチェックした。その結果、現在、作物ごとの標本に整理されているが、明らかに害虫と異なる種が害虫として並べられていた。例えば、「イネの害虫」と書かれた箱にはトンボやアメンボ、テントウムシまで混ざっていた。すなわち、たんぼで取れた虫をすべて害虫として並べていたのだ。そこで害虫と害虫でない昆虫を区別する準備として、まず、order(目)別の並べ方を提案した。実は作物別に並べたのは何年か前に来たオーストラリア人のボランティアとのことで、副所長兼昆虫科長が不満顔だったが何とか押し切った。そこからは連日order ごとにfamily(科)まで同定し、並べる作業を延々7ヶ月行った。標本の中には作物害虫だけではなく、自然保護区で調査した標本も含まれていた。熱帯のため変わった虫も多い。シュモクバエ(写真1)はイネの害虫となっている。写真2は最初orderさえわからなかったが、ヨロイバエ(Celyphidae)というハエの仲間である。どうやら甲虫に擬態しているらしい。見慣れない虫も多く、同定していてとても楽しかった。恐らく、多くの未記載種や新種が含まれていると考えられる。

 ラオスがいかに発展途上国でも、国唯一の害虫研究機関の職員はそれなりのレベルにあるだろうと思っていた、がそれはみごとに期待を裏切られた。私の同定作業を時々は手伝ってくれるが、英語の検索表が読めないし、標本の扱いも粗雑でかえって邪魔になる。そもそも大学の教員のレベルが低いとオーストラリア人の昆虫学者が言っていた。その上、昆虫科の職員のうち3人が大学の時に昆虫学を学んでなく、しかも彼らが昆虫学を勉強しようにもラオス語の本がないのだ。日本では昆虫に関する本が溢れているが彼らは英語で書かれた本を読む以外ない。昆虫科には昆虫に関する英語の本が意外に揃っていたが彼らは英語の本が読めないのである。自国語で書かれた昆虫に関する多数の本がある日本は何とありがたいことか。尤も、本があったとしても彼らが勉強したかどうかは甚だ疑問である。

唯一熱心な昆虫科の副科長(まだ30歳)に頼まれたこともあり、彼らを対象に昆虫学の講義をすることにした。1週間かけてパワーポイントの資料を作り、予定されていた当日の朝、会議が入ったから明日の午前にしてくれという。翌日また午後にしてくれという。こんなことの繰り返しで3回やるのに1ヶ月以上かかった。果たしてみんな理解してくれたかどうか。職場では金曜日は小土曜日と呼び午前中はみんなで除草などの共同作業、昼前からサッカーやペタングという遊びに興じ、ビールを飲む。普段の日も長々とおしゃべりしたりスマホをいじくっていたり、早々といなくなったり、仕事を一生懸命やっている風ではない。これではこの国の昆虫学はなかなか進歩しないだろうと思った。

 とここまでラオス人に関して悪いことばかり書いたが、本当は素晴らしい人達である。みんなが優しく接してくれた。そしてみんな日々の生活を楽しんでいる。また、ラオス人はおだやかで怒らない。職場だけでなく、8ヶ月いてラオス人が本気で怒っているのを見たのは1回だけだった。職場で怒っている人を見たことは1度たりとない。また、私は職場まで公共のバスで通っていたが、知らない人同士でも会話が始まるし、物を沢山持ってバスに乗り込んでくるおばさんたちから物を買う人も珍しくない。おじさんが若い女性に声をかけても女性は嫌がる風もなく応じるのである。すばらしい。このような環境で、仕事だけで毎日虫を扱っていたが、次第にフィールドの虫の虫が騒いできた。(つづく)

 ちゃっきりむし No.189 (2016年9月)

 ラオスな日々 その2  多々良明夫

 フィールドに行くには足が必要だ。しかし、自動車を所有するのはハードルが高かった。関税が高いだけでなく、自動車取得税が100%かかる。ボランティアの身では高根の花であった。ラオスの虫の案内人であるカンブンさんがよく案内するビエンチャン近郊のポイントがある。ヒンカナ(Hingkana)公園といい、ビエンチャンの中心から北西25qにある。ポーパナン(Phou Phanang)という自然保護区の中だ。まずそこへ行ってみようと行き方を調べてみた。ネットではビエンチャン市民の憩いの場所と書いてある。ところが職場の多くの人が知らないという。知っていても公共交通機関を利用した行き方となると皆目わからない。そこでグーグル・アースでビエンチャン近郊の森を探してみると、中心から18q北へ行った所に比較的広い保護エリアがあった。ドンマッカイ(Dongmakkhai)という。ここならタゴーン(Thangon)行きのバスの途中だ。7月末に城内さん、平井さんら一行がラオスに来た。その時カンブンさんにドンマッカイのことを聞いたらいい採集地だという。

 ビエンチャンでは多くのバスが走っており、幸いバスターミナルは私の住んでいたアパートの近くにあった。2015年8月15日、日本から贈呈された緑のバスに家内と二人で乗ってタゴーン方面に向かう。30分ほど乗ると森が見えてきた。ラオスのバスは好きなところで乗り降りできる。狙ったところで降車合図のブザーを鳴らすと運転手も乗客も訝しげな顔をしている。なんにもない森の前で長い棒を持った外国人風の男女が何の用だろうという顔だ。そもそもラオス人は好奇心を包み隠さず行動に出る。つまりは、なんのためらいもなくじっと見るのだ。ほとんど全ての乗客の視線を感じながらバスを降り、道路沿いの森に向かった。ちなみにバスの料金は、路線ごとに異なるが終点まで一律で、この路線は5000キープ(当時の円換算で75円)である。森を貫く広い道路から入ろうとすると、雨季のため水たまりだらけで入れない。仕方なく大きな道沿いで採集することにした。道沿いにはマダラチョウ類、ミカドアゲハ類が沢山飛んでいた。森の縁にはシジミタテハ2種(Abisara bifasciataA.abnormis)がいて、これは静昆新記録?だった。第1回目のドンマッカイで採れた蝶は普通種が多く、16種21頭だった。

 10月に入り乾季が近くなると森への道から水が引き始めた。森に入ると、行くたびに今まで採れなかった種が採れるようになった。保護地区でありながら森の中には縦横無尽に細い道があり、多くの地元の人に会った。多くは木を切りに来ている人だ。鉄砲を持って鳥を獲りに来ている人もいる。時々「何をしているのか」と聞かれ、「チョウを採っている」というと、「チョウはおいしくないよ」と親切に教えてくれる。「食べるのではなくて・・」と言いかけるがその後は語学力が追いつかない。後は笑ってごまかす。ある時、5,6mもある棒で木の上の方を叩いている人たちがいた。見ると20pは有にあるナナフシだ。木の上にいるナナフシを叩き落とし、採るとすぐに脚をもいで腰にぶら下げたかごに入れている。食 べるのかと聞いたらそうだという。どのようにして食べるか聞けばよかったが、美味しいと言っていた。ここドンマッカイの森の近くに市場があり他の市場より昆虫の品揃えが圧倒的に多く、俗に昆虫市場と呼ばれている。よく見るコオロギ、バッタ、蚕の蛹の他に生きたセミの幼虫、メイガかゴミムシダマシの幼虫などが売られていた。ラオスは昆虫食が普通で、その他にアリやタマムシ、カブトムシの幼虫、更にはカメムシまで食べる。ラオスは飢えには程遠い国だ。

 11月15日、森の中を一周りして道路側の外周で採集していた時のこと。家内が何か大きい蝶がいるという。家内は動いていない虫を見つけることに長けている。背丈もあるススキの上の方の葉にとまっていたのは何とホウセキフタオ(Polyura delphis)だった。繰り返すが、首都の中心から20qも離れていないところである。

 その後、森の中に仕掛けたベラカン(料理に使うエビが入ったペースト状の練り物、地元ではカピと呼んでいた)を見まわると見たこともないフタオチョウがいた。新鮮なシュレイバーフタオ(P.schreiber)であった。静昆のメンバーが14回もラオスのあちらこちらに通っていて採れていない種であった。しつこいが、首都ビエンチャン市内である。別を見まわって同じベラカンに戻ってきたらまた、別の個体が来ていた。しかし、不思議な事にシュレイバーフタオもホウセキフタオもこの日以外は見ることさえなかった。

年が明けて2016年1月10日、この頃になると乾季の真っ盛りで森はカラカラに乾き、チョウも少ない。森の中の小径を歩いているとふと目の前に赤いチョウがフラフラと現れた。スジグロカバマダラかと思ったが後翅が白いコウトウマダラ(Danaus melanippus hegesippus)だった。図鑑で目立っていて採りたいと思っていた種だ。

 結局ドンマッカイには2015年8月から2016年2月まで計10回通った。いつも2時間程度の採集で、通算92種類を採集することが出来た。かなりしつこいが首都の市内である。しかし、この保護区も先行きは怪しい。最初に行った時、森に向かう広い道路を少し歩くと右手に完成間近の大きな建物があった。ラオスはなんでもありの国だからその時は無許可で建設したホテルかなと思った。また、その広い道から森沿いにタゴーン方面に少し行くと森を切り開いて沢山の建物を建てていた。後から聞くと、森の中のホテル風の建物は環境庁、建物群は農林水産省の新庁舎だったのだ。政府自ら保護区を切り開いていたのである。

 ドンマッカイだけでなく、高いトゥクトゥク(三輪タクシー)代を払って行ったヒンカナ、旅行や出張の途中で採集したサイニャブリ(Sainyabuli)、ルアンパバーン(Luang Prabang)とパクセ(Pakse)、レンタカーを自ら運転したバンビエン(Vang Vieng)とラクサオ(LakSao)への採集旅行。虫影は様々だったが、どこも開発が進み消滅したポイントもあった。ラオスの経済成長率はここ10年間5〜8%を維持している。1940年代に70%だった森林率は2010年に40%となった。森林保護のプロジェクトが日本の援助で行われているが、経済成長率を維持するには天然林の破壊が更に進むだろう。行くなら今のうちです。

 ちゃっきりむし No.190 (2016年12月発行)

 インドで蝶を追う(1)  松田陽二

 2006年春、仕事の都合でインドに引っ越すことになり、その後、6年間を南インドで暮らした。

当初は気持ちにも余裕がなく、蝶どころではなかったのだが、ある時ヒンドゥー教寺院の森に数多くのBlue Mormon(Papilio polymnestor)が翔び交っているのを目にした。木漏れ日に映えるBlueがとても美しく、夢中で目で追いかけた。忘れていた大事なことを思い出したような気がして、それ以来、少しずつ蝶に時間を割き始めた。

だが、いざ始めると、種々の問題を伴った。インドでは昆虫の採集や持ち出しは禁止されている。見つかると刑務所送りになる場合がある。同様の事件が起きる度、過去の主要な逮捕者の国や氏名が新聞に公表され、日本人=コレクターの印象を持たれる一因にもなっている。

図鑑などの文献類も乏しい。殺生を嫌う宗教的要因もあり、研究者が相対的に少ない。インド網羅的な図鑑としてThe Book of Indian Butterflies(Isaac Kehimkar(2008))が発刊されるまでは、半島部の普通種をカバーしたButterflies of Peninsular INDIA(Krushnamegh Kunte(2000))や、50年以上前のButteflies of the Indian Region(M.A.Wynter-Blyth(1957))くらいで、同定には使えない代物だった。筆者は、Butterflies of the Oriental Region(D'Abrera(1982-1986))や、ネパール、タイ等の周辺国文献、海外Web Siteを参照した。

地図も無い。簡単な道路地図はあるが、ラダックのように登山客が世界中から訪れる地域を除くと、地形図などは発行されていない。更に、森林地帯は自由に歩く事が許されていない場合も少なくない。最初の頃はキャンプ場や森林地帯のゲストハウスを訪れ、スタッフに頼んで案内して貰うことが多かった。

そして、東南アジア諸国はどこも同様だが、象、トラ、ヒョウ、ワニ、コブラ、キングコブラなど危険な動物が意外なほど身近にいる。中でも象は最も危険で数も多い。一度、至近距離で野生の雄の象に「パオー!」と一喝されたことがあるが、その迫力と恐怖で、地面にへたり込んで動けなかった。

インドは中国やパキスタンなど隣国との領土問題や民族紛争、宗教紛争を抱えている。問題ある地域に入る場合、Restricted/Prote-cted Area Permit(RAP/PAP)が必要となる。北東諸州地域のナガランド州、マニプール州、ミゾラム州、アルナチャルプラデッシュ州や先住民族保護が必要なアンダマン&ニコバル諸島、北部のJ&K州一部地域等が該当する。中国が領土主張するArunachal Pradesh州は、近年まで特に許可取得が困難だと言われていた。2013年、筆者が初めてArunachal Pradeshを訪れた際、その5ヶ月前に近くの西ベンガル州を訪れ、入域許可取得の可否、雨期における気候、危険度、移動手段など情報収集を行った。
さらに、少数民族地域で地元が管理する森林地帯に入るには、現地の長による許可も必要になることがある。その場合は、地元に精通したトラベルエージェントでないとアレンジは難しい。

以下、興味深い場所やチョウをトピックス的に紹介する。
(1)西ガーツ山脈
 Kerala州からGoa州南部まで広がり、最高標高は約2700m。約334 種類の蝶が記録されている(Padhye et al.2012)。南部のNilgiri山地には固有種が多く、Colias nilagiriensisParantica nilgiriensis、Ypthima chenuiなどが有名。Colias nilagiriensisColias erateの亜種(ssp. nilagiriensis)(反町(2000))とする見解もあるが、インド国内では別種(Colias nilagiriensis)とする見解が一般的である(Kunte(2000))。インド国内のC.erateの分布が北東部であるのに対し、Nilgiri山地はそこから1700q以上離れている。 (2)ラダック  子供の頃、春田俊郎氏のネパール採集紀を読み、ヒマラヤでパルナシュウスを追うことを夢見た。それから約20年後、初めてパルナシュウスを探しにインドに渡った。インターネットの普及前で情報は少なかったが、文献に記載がある地名を頼りに、運良く5種類のパルナシュウスを確認することができた。パキスタンとの緊張は高く、夜間、威嚇射撃なのか機関銃や砲撃の音が響いていた。  それから何度か通ったが、近年、温暖化の影響か気温が上昇しているように感じる。棲息地の標高も上がってきた。また、午後になると気温の上昇に伴う雪解けで川が濁流となり、時には橋や路肩を流し去る。そうなると、夕方、再び気温が下がって水が引くまで車は立ち往生する。年々難しくなってきたのかもしれない。 [参考文献] 1.Kunte,K(2000)INDIA-A Lifescape:Butterflies of Peninsular India:91-92 2.反町康司(2000) 入門編 コリアス図鑑:72‐73 3.Anand Padhye,Sheetal Shelke,Neelesh Dahanukar(2012) Distribution of butterfly species in the Westerb Ghats,India. Check List8(6):1196-1215

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