<ゴシュケビッチ(goschkevitsch)とは>
静岡昆虫同好会では、多くの会員が海外に調査に出かけています。今後も多くのグループが海外に出かけ
ることは確実で、益々新しい知見や資料が集積されることと思います。
しかし一方、多くの調査が行われてもそれに見合った発表の機会は必ずしも十
分であるとは言えません。いわゆる全国誌や学会誌に発表するにはやや抵抗のあ
る場合も考えられます。
そのため本会では、@貴重な調査の成果を無駄にしないこと、A発表に際して
は正確な同定か要求され、そのための研鎖は会員の資質向上につながること、B
自分たち自身で発行することは会の活動の充実と、PRにもなることから次のよう
な内容により、気軽に発表できる“海外調査報告(別冊)”を発行することとなり
ました。過去の調査で未発表の資料をお持ちの方、また今後調査に行かれる方も、
是非会員の皆様の投稿をお願いいたします。
これは「蝶と蛾」1977 vol、28、No.4 高橋 昭氏の「日本産キマダラヒカゲ属Neope2種の学名と原産地」の文を参考にさせていただきました。
「1854年(安政1年)3月、アメリカの使節ペリーと日米和親条約が調印され、下田港が開港された。同年ロシアの海軍大将プチャーチンが貿易交渉のため日本を訪れ12月4日には下田港に到着した。この使節団にゴシュケビッチ(1814−1875)が通訳として参加していた。ところが、彼らは下田に滞在中の1854年12月末、2回続けて起こったマグニチュード8.4の地震(安政の大地震)に遭遇し、2回目の地震に伴う大津波で下田港に停泊していた"ディアナ号"が破壊された。その後1855年2月には日露和親条約が調印され下田港がロシアにも開港となっている。
一行は帰国の手段が無くなり、伊豆に滞在を余儀なくされていたが、ゴシュケビッチは1855年7月ドイツの船で母国に帰国するまでの間の1855年春もしくは初夏、伊豆半島で蝶の採集をしている。採集された蝶はセント・ペテルブルクにある王立科学アカデミー博物館に寄贈され、エドゥアルト・メネトゥリエによりリストが作られ、そのうち6種が新種として記載された。その6種はダイミョウセセリ、スジグロシロチョウ、ツバメシジミ、ウラギンスジヒョウモン、イチモンジチョウ、サトキマダラヒカゲである。特にサトキマダラヒカゲの種小名には”goschkevischii”がつけられている。また上の6種の内の3種は命名者のメネトゥリエの名が残っている。
ゴシュケビッチは1858年から1865年まで函館で最初のロシアの領事として勤務する一方、和露辞典の著者としてまた日本の写真を紹介するなど日本とロシアの友好的な架け橋として活躍している。」
以上のようなことから、ロシアは現在会員にとって昆虫の調査をする上で最もの関心の高い国であること、サトキマダラヒカゲの種名“goschkevischiiは、この種の属するNeope属の分類に高橋真弓会長の業績にも関連していること、ゴシュケビッチ本人が本県の伊豆に滞在し蝶を採集したことなど、静岡県−地震−蝶−ロシアという多くを結びつけるものがあるということで「ゴシュケビッチ」
に決定した次第です。 (文責 諏訪哲夫)