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<Web ちゃっきりむし 1965年 No.5〜>

● 目 次
 「LABIA」 (No.5-1)
 高橋真弓:これからの地方同好会のいきかた (No.5-2)
 小林国彦:本年度からの大いなる希望 (No.5-3)
 渡辺一雄:若い虫屋さんに望む (No.5-4)
 会員章(マーク)決定(No.5-5)

 ちゃっきりむし No.5-1 (1965年4月5日)

  「LABIA」

 郵便受けに千円札だの・腕時計が投げこまれてはじまった1965年は,すでに1/4が過ぎた.そのうち,エサキキンヘリタマムシやヒマラヤムカシトンボが投げこまれやしないかと,毎日郵便受けをのぞいているうちに,神奈川県で紀元節が復活した.私は若い人たちに訊いてみた.−−君たち2月11日を知ってるかい−−しばらく考えていたが,ハタチの女の子がにっこり−−ああ分かった!ヒノエウマでしよう.
 昆虫学者は分類する.ヒノエウマはアザミウマの如きチッポケなもうだ.
 花はどこへ行った.アヤナミカメムシはどこへ行った.アヤナミはどこへ行っても責任ないが,アヤトリ書記官は自分の過失を認めなければならぬ.
 南国のモラルは愉快だ.ビートルズを禁止した国もあるが,静昆では禁止しないからbeetles愛好者よ,もっともっと研究しておくれ.カブトムシを殺す注射薬は,アンプル入りの風邪薬がよく効く.

 蝶濫獲だけ力能ではない.
  −−何か採ったかと肩に手を
    何も採らぬとうつむいて
    罐にはいっぱいギフを溜つ
    おまえはあんまり採るでない

 1960年,岸内閲は南ベトナムヘ200億円の賠償金を支払った.200億円がホントにベトナム国民の平和と,わが国の友好に役立つのなら,そのうちべトナムの昆虫同好会と文通をはじめて,バオダイタテハ(そんなのいるかどうかしらないが)でも採りにいらっしゃいテナ招待状が来やしないかと,ひそかな「希望」をもった方もあろう.
 ベトナム昆虫同好会−−略してそれが「ベト昆」である.
 当時,自民党の宣伝したゴ・ジンジェムは倒れてしまったが,今日のベトナムはなんというザマだ.だが思うに,第二次世界大戦時の日本国民とはちがう.ベトナム国民の多しは,南も北も真の平和を願っている.
 異った種ですらカクアリとムナボソアリはクノレミの木の上で仲よく生活しているのだ.武力による報復はあっても,武力による永久平和はありえない.
 スリーアローズが,防衛でなくて進撃に及ぶことはないだろうか.
 北杜夫さんのように立派な仕事をしている作家もあれば,ピストル販売業をアルバイトしていた作家もある.もともと大藪春彦のダーウィニズムは誤っていた.清張センセイではないが,作家は特別な存在ではない.
 「スケベの上の植物群」などという愚作が堂々と映画化されている時代に,帝銀事件の野村証言が弾圧されている.「○○チョウ目撃」などというアヤフヤな短報を投稿した会員には,リンチを加える同好会があったとしたら−−−−? メンデル100年祭の新しい年になっても,やはり都合の悪い口はふさがねばならぬのが人間の心だろうか.
 しかし,人間にこそ「希望」がある.「希望」をもつのが人間だ,見あげてごらん.ウォスボード2号は飛んていく.米ソの競争時代は終った.将来にかけるもっともっと大きな「希望」は,同じ人間同志のなかにある.
 そして虫屋は,同じ生きとし生けるものに,さらに大きな「希望」をはせるのだ.
             (編集者)

 ちゃっきりむし No.5-2 (1965年4月5日)

  これからの地方同好会のいきかた 高橋真弓

 わたくしたちの同好会は,創立以来ことしで15年目になります.創立当時の会員は17名でしたが,今では110名を越え,「駿河の昆虫」は48号まで,「ちやっきりむし」は5号までが発行され,東海道地方では名古屋昆虫同好会と共に着実な活動をすすめています.しかし,他の一面として,これから発展していくのに,そのさまたげとなるたくさんの問題点をかかえており,それを解決する必要にせまられています.ここではそのいくつかを指摘して,これからどのようにして進んだらよいかを,皆さんと一緒に考えてみたいと思います.

 まず第一に,何を研究すべきかということであります.かつて10年ほど前に,[駿河の昆虫]7号で,「地方誌の生命は先ずその地方でしか出来ない研究や資料を紹介することで,しかも誰もが気軽に投稿できるものでなければなりません.従って地方誌として中央誌を真似たものや,二・三人の限られた人々しか書けぬものは殆んど無意味だと思います.……」という編集後記をかいたことがあります.研究のおもな対象はその地方の昆虫の分布・生態におき,その成果を機関誌に反映させることが必要になってきます.

 静岡県の文化は,一見派手で洗練されています.映画の封切も早いし,県民の感情は流行にも敏感です.また東京で何か催し物があれば日帰りも割に簡単です.地方文化の創造の中心ともいうべき地方大学も,どちらかといえば東京の大学の出張所のような色彩をもっていて,一部をのぞいては,地方文化を育てるのに必ずしも熱心だとはいえません.街の中には「○○銀座」などというのがいくつもあります.猫も杓子も東京・東京というわけです.わたくしたちの研究活動はこのような文化的環境の中におかれています.まずこのような諸条件をしっかりと見つめ,この地方でなければできない研究を着実にすすめていくことに大きな意味があるのではないでしょうか.病的なうわついた文化を批判し,昆虫の研究を通じて真の地方文化を育てていきたいものです.ただ東海道沿線という利点を活用して,他の地方の研究者・同好者にも積極的に接し,いろいろなすぐれた点を学びとる謙虚な態度を忘れてはなりません.

 現在のところ,活動の主体は熱心な高校生であり,この人たちに援助し,協力しているのが社会人であります.近ごろは,これらの高校生の中から,大学の生物系統の学科に進む人たちがふえてきたのは,たいへんうれしいことです.しかし,他の一面では,これらの人たちが大学を卒業して,はたしてどのぐらいの人が郷土にもどってくるかという問題があります.明治以来,日本の支配階級が一貫してとり続けてきた中央偏重の政治が,有能な人たちを地方からひきはなそうとしているのです.これは,なかなか今すぐ解決できることではありませんが,このことからも,地方大学の生物学研究がどうあらねばならないかということをあらためて考えさせられます.

 高校生の皆さんが直面している大問題は,大学の入試地獄であります.これは,大学の収容能力が志願者のすべてを収容できないことのほかに,学歴偏重のわるい習慣が社会に根強くのこっていることに,その根本的原因があります.しかし,現状では,このような社会のしくみに関心をもちながら,余暇を最大限に有効につかい,いたずらに有名校にとらわれず,まず自分の適性を考え,そのあとで着実に志望校をきめることを期待します.

 つぎに,クラブ活動と同好会活動との関係についてであります.さいわい,学校でクラブに属しながら同好会活動をすると支障がおこるという意見は,殆んど聞きません.実際に,同好会で熱心な活動をしている人は,たいていそのクラブの部長級の中堅であることが多いようです.わたくしは,同好会活動はまずクラブ活動を基礎とし,クラブ活動は同好会活動によって前進するというふうに考えます.クラブ活動がさかんにならなければ,同好会の熱心な高校生会員は不足するし,同好会活動がなければ,クラブ活動は「井の中の蛙」になり,その年限りでその研究主題がつぶれてしまうということもおこることでしょう.それに,同好会活動は,各高校のクラブの研究意欲を刺戟しながら,クラブ活動にしばしばありがちな,○○賞受賞だけを目あてとした無意味な活動を排せきします.

 それから,クラブの雑誌と「駿河の昆虫」との関係であります.クラブの雑誌の目的は,そのクラブの活動状況を他の学校のクラブに示し,たがいに連絡をとって刺戟しあいながら,クラブ活動を発展させることだと考えます.したがって,内容がすこしぐらい不正確であっても,その活動の生きた姿が伝えられれば,その目的の大半をはたすことができるでしょう.これに対して,「駿河の昆虫」の記事は,どんな小さな短報でも,正確で信用のおけるものであればりっぱな学術資料として通用するものです.その上,こうした資料を専門に集めることに,この雑誌のおもな性格があります.したがって,この二つの雑誌の目的や性格は根本的にことなっているのです.このようなわけで,クラブの雑誌に発表したある報文の内容を「駿河の昆虫」に発表するときは,内容が正確なものである限り,場合によっては,まったく同文でもさしつかえないと思います.その場合は「あとがき」などで,そのことをことわっておくとよいでしょう.

 最後に,社会人についての問題であります.社会人はみな本職をもっていて,その乏しい余暇をさいて,昆虫研究をしています.学生がテスト・テストでいそがしいといっても,この点社会人にははるかに及ばないでしょう.経済が「高度成長」しても,物価は上るし,賃金はこれについていけない.そして職業によっては残業が強化される.ここにも大きな社会問題があります.わたくしたちの同好会は,歴史が浅いこともあって,社会人の層がまだまだうすく,このことが大きな弱点の一つになっています.気ながに地元の社会人の層を強化し,たがいに援助しあって,一歩一歩進んでいく必要があります.熱心な社会人を中核としたしっかりとした運営体制がつくられなければ,事業の拡大や会誌の活版印刷など思いもよらないことです.

 わたくしたちの同好会は,まだほかにもたくさんの問題をかかえています.いろいろな困難をねばり強くとり除きながら,着実に発展させていきたいものです.

 ちゃっきりむし No.5-3 (1965年4月5日)

  本年度からの大いなる希望 小林国彦

  (1)比叡山系の生物相再検討を
 古都の蝶は柔和で,スローで,難なく己れのネットに誘い込めるだろうとアカサカな考えで京都にやってきたものの,″富士の裾野に棲む蝶も,京都北山に棲む蝶も…….という訳で,実際手に負えない.これは女性についても然り.そんなことを痛感しているうちに早くも二年目が過ぎようとしている.そこで小生の属する生物同好会の会員だちと相談の末,最近ドライブウェイの建設,行楽客の急増……等々により,それでなくても年とともに変貌する生物相に拍車をかけつつあると思われる比叡山の生物総合調査−会員の殆んどがチョーマニストである為,結局は蝶類分布調査ということになろうが−−を行ない,以前との生物相の変遷を知ろうという大それた計画になった.それには先ず,資料を集め,過去に於ける調査状況を知り,それを検討しつつ,具体的研究方針を決めるということになる.本年度の予定はこれらのデータにより,一定区域を指定し,そこを集中的に調査し,逐次指定区域を変えて行こうと思う.とにかく″大山鳴動してねずみ一匹"ということにならぬよう十分注意してやりたい.

  (2) 地方による生物名称の相違を知る.
 "難波の芦は伊勢の浜荻"といわれるように同一の生物でも各地方によってその呼び名(俗名)が異なる.このような例を集積し,それぞれについて比較検討すれば,そこに何らかの法則性なるものが見出される.金田―氏の言う「言葉は生きている.」である.いや,そんな大げさなものではなく,どこそこの地方では○を△といい,別の地方では□と呼んでいる,なんてことでも結構面白いではないか.これに関しては井上智雄氏が昆虫を対象にはじめておられるし,又,柳田国男氏が角川文庫「野草雑記・野鳥雑記」の中でかなか詳しく書いており,小生自身のアイディアによるものではないが,幸い地方から某方面の"通"だとか,好事家だとか種々様々な人間が来ていて彼等に接する機会が多い.そこで極めてポピュラーな生物について聞いて歩けば……と,待ち前の欲の深いところから試るつもりで居ります.皆様どうか御協力の程を.抜目ないね.ホント.

(3)その他諸々
 入洛後間もなくの1963年より,特に京都方面の蝶類訪花習性の観察を行なっているが,更にその観察の継続とそれに伴う植物知識の育成.小生がチョーマニストになって以来片想いである″ギフチョウ"についてすべてを知ること!?.蝶の異種間交尾による二世・三世の製造…….と,夢は止めどもなく発展して行きますが,ただ,風邪をひかないように注意したいと思う.これら諸テーマの遂行には″二兎追う者,三兎を得る.のモットーあるのみ.頭がオーバーヒートだと嘲笑し給う勿れ.

 ちゃっきりむし No.5-4 (1965年4月5日)

  若い虫屋さんに望む 渡辺一雄

 「昆虫採集は最も高尚なスポーツである.」といった人がある.過去は,日本の自然も豊かで,虫共の天国であった.虫を採る人も少なくまた,その人達も採集道徳をよくわきまえ,乱獲をやらなかった.近年は自然の破壊が急速に行われる一方,採集者の数も年々増え,功妙な採集法によって虫の数も急減している.虫を愛し,自然を愛する者にとってはやりきれない気持になる.

 虫好きの大半が蝶の愛好者であることは今も変りがない.そのために,蝶についての調査がゆきとどいている点では,世界のトップレベルに属するそうである.小学生の中にも,図鑑の蝶の名は,殆ど憶えたり,他県の同好者と盛んに交換をしている者もいる.飼育も熱心で,食草についても可成かの知識をもっているのには驚く.一面から考えたら結構なことと思うが,ややもすると,時的な蒐集本能を満足するだけに終り,虫の末路はあわれになってしまう例が仲々多いようである.

 蝶に続いて愛好家の多いのは甲虫である.それも,大型で美麗なコガネムシやカミキリムシの仲間が大部分で,小型でみすぼらしい類には余り手をつけない.手をつけない原因の一つは図鑑示ないことにもよると思う.その他の昆虫になると益々未知のことが多くなってくる.

 地方同好会の一つの大きな使命は,郷土の昆虫相の調査にあると思う.分布調査の仕事は大勢の人を必要とする.趣味でやっているのであれば,好きなものを追っかけて楽しんでいればよいわけであるが,余り手をつけてない昆虫群を,共同で調べていくことも,興味があり意義もあると考えられる.

 遠州地方は,本州の中でも冬期の温度が高く,冬の虫捜しも結構たのしめる.私は2年ほど前から,冬はアブやハエを見に外へ出ることを楽しみの一つにしている.これらの昆虫に接近してみると,人から嫌われている虫共にも結構愛着をもつようになる.奇妙な習性や種類の多いのにも驚く.

 私達の大先輩のM先生は,ハチの大家として有名であるが,若い頃は蝶が好きで,台湾の山野をばっ渉され,蝶について造詣も深い方である.浜松での採集会でもよくお見えになったが,捕虫網を持ってこられたことがない.先生曰く「ネットを持っていると,どうしても蝶をとりたくなるので持つのをやめました.」と.私達も,たまにはネットや毒管なしで虫捜しにいきませんか.採集すること以上に得ることがあるでしょう.

 ちゃっきりむし No.5-5 (1965年4月5日)

  会員章(マーク)決定

 会員章の図案は合計23通が寄せられていたが,当票により上位8作品(鈴木芳人2,高橋真弓,広瀬久行,小沢浄,大石幸椎,清邦彦,小林国彦)を選び,このうちより鈴木芳人君の,静岡県地図に蝶を組み合せた作品が決定された.さらにこの作品について,ローマ字を漢字にした方がいいなどの批評があり,最終的にはそれらのアイデアを加えて作者が改作した.
 なお,この当票方法は,作者の名前をふせて説明だけ読み,参加者20名が5票づつの投票券を自由に使った.