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<Webちゃっきりむし 2010年 No.163-166>

● 目 次
 福田晴夫:静岡と鹿児島の虫と虫屋と同好会 (No.163)
 鈴木英文:集めた標本をどうするか(No.164)
 河原章人:静岡県富士宮市から10年アメリカ合衆国で昆虫学を学ぶ(T)(No.165)
 河原章人:静岡県富士宮市から10年アメリカ合衆国で昆虫学を学ぶ(U)(No.166)

 ちゃっきりむし No.163 (2010年3月31日)

  静岡と鹿児島の虫と虫屋と同好会  福田晴夫

 静岡〜鹿児島間に飛行機の直行使が出来て,マスコミでは両県の自然や産業などに共通点や類似点が多いという話が盛り上がった.富士火山帯と霧島火山帯…富士山と霧島山・桜島,駿河湾と鹿児島湾,照葉樹林帯というベースにお茶やミカンがあり,高校サッカーも強い? しかし生物分布激変地帯のフォッサマグナと渡瀬ライン,虫や昆虫同好会までそうとは知らなかったようだ.

 静昆と鹿昆も似ている.「駿河の昆虫」は「月刊むし」の「回顧」原稿の作成で,記録の充実を再確認した.この点ではSatsumaもひけをとらない(まだ不十分と思うけど)…と昔,磐瀬太郎さんや白水隆先生が言っておられた.長く代表をされていた高橋真弓さんと私は同年の後期高齢者で,共に高校の生物教師でもあったし,著の歴史も古い.

 チョウの世界も,静岡県では迷チョウのカバマダラもよく発生するし,近ごろはヤクシマルリシジミが侵入し,サツマシジミも定着している.スギタニルリシジミもトチノキのない生息地があるらしい.ルリシジミは昔から共通だから,タッパンルリシジミが発見されたら(可能性はゼロではない),ルリシジミ類は同じになる.

 しかし,時は流れて虫屋の世代交替が進行している.私の世代は小中学生時代に戦争を体験し,戦後すぐに虫屋として誕生した.かなりの数だったから,まだ頑張っている人もいるが,世代交替は早くも次の60歳代のグループにも入ってきた.高度成長期に青春,虫採りを謳歌した人たちである.後に続く世代もそれぞれにマイペースで虫と付き合って楽しんでおられるようで,最後には希少種と言われる10代,20代の若手世代がいる.
 最高年組の爺世代が,今どきの若いもんは…と切り出しても,さて,何を言えばよいか.今さらなにもなく,ただひたすら自分流のチョウとの付き合いを続けるしかないらしい.

 鹿児島の私ごと.迷蝶問題は一段落,北上の南方系種は南九州をとうの昔に通り過ぎてしまった.次は北方系種の分布南限の動向…消滅,激減,高地や北方への撤退…である.この中には温暖化や人の撹乱で希少種となっているものが多いが,依然として普通種もいる.なぜか? トカラ列島にある渡瀬ラインを分布南限とするのは中之島のキマダラセセリだけである.となると問題は屋久島にいる南限種になる.そのひとつツマキチョウはSatsumaに書いた.北條さんが静岡産について言われたように,ここでもジャニンジンが大事らしいが,あとひとつ決め手がほしい.ウラナミジャノメは秋の鱗翅学会で喋った.ヤマキマダラヒカゲは難物で,調査範囲を九州一円に広げることになりそうだ.「よくこのヤマとサトを見破ったなあ」と,真弓さんに敬意を表しつつ,彼が敷いたレールの上を走って細かな調査を進めている.しかし単子葉草本を食草とするジャノメチョウ類は,野外で幼生期の発見率が低く調査は困難を極める.ということは未詳のことが多い.食草,発生回数・周年経過,生育地と分散域の確認などが難物として残っており,とても私の一生での解明はおぼつかない.でも身近な草地で観察という楽しみが残っていてよかった.ウラナミジャノメも難物だが,思えばわが家に飛来する駄物のヒメウラナミジャノメの発生源すら未詳だった.ポントに“どこでも発生”しているものか.

  問題はもちろんジャノメチョウ類だけに留まらず,どのチョウも面白い.日長・温度など環境要因の関わりとか,DNAとか,面倒な統計処理などはプロに任せて,私はただ自然状態でのチョウたちの暮らしぶり,生活史を知りたいだけだ.しかし,年の瀬が迫ったせいか,この単純な調べることの楽しさを,もっと多くの蝶屋さんに分かっていただき,もっと多くの原稿を書いて欲しいという願いが大きくなる.

 日本のチョウ類研究史の中で「生活史解明時代」は,いわゆる戦前・戦中・戦後,1940年代から1960年代の約30年間であった.だから後に続く世代にはそんな楽しみが少なくなった,だから,いろんな方向に楽しみ方が多様化して現在に至る…という見方もある.そして経済的なゆとりも出来て,蝶屋と称する大人が増えた.しかし何かを調べて原稿を書こうという人は多いとは言えない.よって同好会への入会者も,月刊雑誌の購入者も減り,若い活きの良い虫屋が育ち難くなった.幼年期や少年時代に虫と遊ぶということだけなら,対象とする虫の種類や遊び方は変わったが,今も昔も大差ない.これらの時代の自然体験の大事は言うまでもないが,問題はその後で,昆虫少年が少数しか育っていないことにある.成人も採集やコレクションだけを楽しむ人が増え過ぎて,お金もうけとつながったり,乱獲者が出たりして,各地に採集禁止区域ができ,放蝶ゲリラまで出現する世の中になっている.それぞれに言い分があり,その善し悪しの議論や原因の検討も必要だが,ここでは止めておく.これからどうするかという未来志向が大事だ.

 一口で言えば,同好会の姿勢がここで問われている.これまで私たちは遠慮し過ぎていたようだ.「原稿不足」などと会誌に書くのは恥ずかしいことで,もっと積極的に,原稿書きが「できる会員,やる会員」を増やす努力をすべきだと反省する.日本の昆虫の自然史データを残せるのは,各地の昆虫同好会の会員に優るものはないと思う.環境省も博物館も,大学も研究所もコンサルも,いろんな手だてを講じていることは承知している.しかし有用文献として残りそうな情報量は昆虫同好会誌に及ばない.その同好会の多くは年額3000円の会費で印刷費を捻出して会誌を発行しているが,国でも地方でも,もし会誌発行費用を支出してくれたら,使える記録の集積は随分進むだろう.もちろんひも付きはご免こうむるけれど,原稿が溜まったから出したいという要求をした時点で,内容をみて援助する方法はどうだろう.現に地球環境資金などいくらかの施策は実施されているが,保全活動が評価されて,その前の調査活動への着目度はあまり高くなさそうだ.これでは同好会レベルの弱小団体としては使い勝手がよくない.「仕分け委員会」もムダな費用をあぶり出したが,次はほんとに効果的な新支出の事業も探し出して光をあてて欲しい.そうなるようにこれからの同好会は自己変革をしないといけない. かといって,静昆も鹿昆も今の中心課題を充実させればよく,教育普及活動とか保護活動などまで手を広げ過ぎない方がよいと思う.やり過ぎると会務をボランティアでやる組織が不安定になる.それでも,虫屋にありがちな変な粋,閉鎖的な殻を破って脱皮する時がとうに来ていると言いたい.同好会は楽しくないといけない.然りであるが,その楽しみの内容が問われでいる.いろいろな道があろう.プロの協力,援助も遠慮なくもらうべし.しかし基本的には自分たちで考えることだ.会誌という強力な記録公開の揚が顕在であるならそれは希望が持てる.静昆と鹿昆は…もちろん他の県にもよき同類はあるけれど…郷土の虫の記録を残すという特技をより活かすべく,よいライバルとしてたゆまぬ挑戦を続けたいものだ.

 間もなく21世紀も10年目になる今,近ごろの爺さんば既製おかず食系”で,だらしないと言われるのも悔しいので,清編集長のお勧めもあって,カラ元気を出して一筆した.風邪をひかぬように用心しよう.(2009/12/20)

 ちゃっきりむし No.164 (2010年6月15日)

  集めた標本をどうするか 鈴木英文

 虫屋の年齢は年々高齢化の一途をたどっている.静岡昆虫同好会の会員の高齢化も著しい.近頃は,昔昆虫少年だったが,仕事が忙しく,一時虫から遠ざかっていたが,リタイアして暇ができたのでまた虫屋に復帰した方も増えてきた.虫屋の数自体は減ってはいないのだろう.もちろん10代20代からずっと虫とつき合い続けている方も多くいる.かくいう私もそうであるが,10代から蝶の採集を始め,60歳を過ぎてもまだ続けている.あまり採集しない,そのため標本数も多くはない私でも,手持ちの蝶の標本は大型ドイツ箱でゆうに100箱を超えている.中には今ではもう採ることができない静岡県のギフチョウをはじめとして郷土の標本もかなりある.またヒカゲチョウ属のコレクションは一寸は自慢できる.これらの標本をどこで保存したらよいのか.これから出来る予定?の静岡県立自然史博物館(仮称)に寄贈するつもりでいるが,自然史博物館が出来た時収蔵するための標本を受け入れ,整理している静岡県自然学習資料センターの昆虫標本収蔵庫はもうすぐ一杯になる.もう一部屋収蔵庫を確保するよう県と交渉中であるが,たとえそれが確保されても,現在標本寄贈を希望している方々の標本を受け入れれば遠からずパンクする.静岡県産の標本は出来る限り県内で保管することを目標にしている以上,寄贈希望があれば出来るだけ受け入れるように努力するにしても限度がある.まだ出来ていない県立自然史博でさえこのような状態であるから,全国の虫屋の膨大な標本をどこに収容するのか.既存の公立の博物館でも予算を削られているから,そんなに収蔵品を増やすわけにもいかない.金がある人は自前で博物館を建てるかもしれないが,その後の維持管理費が馬鹿にならない.それでたいがいダメになる.以前寄付を集めて収蔵施設を作ろうというような話が出たことはあったが,出来たという話は聞かないから,これもダメなのだろう.こういう施設を作るためには出資者は大切な自分の標本の永代供養料を払うつもりでなければならないだろう.それも一人10万や20万円では話にならず,大型ドイツ箱100箱につき500万円くらいは最低必要であろう.長期間の維持管理費を考えればこれでも安いくらいだと思う.

 以前ある方から御主人が集めた蝶の標本をどこかで買ってもらえないかと相談を受けたことがある.その御主人は,この蝶はどこそこの国の首相だか大臣だかから贈られたものだ,とか家族に自慢していたようであるから,どこかで買い取ってもらえると思っていたようであるが,ただで寄贈するなら引き取ってもら えるところがあるかもしれない,と伝えると当てが外れたようであった.その後その標本がどうなったかは知らない.道楽に金を使っているととかく家族からは白い目でみられるから,このコレクションはン百万円の価値があるとか言ってしまうのだろうが,蝶は美術品ではないのだからそんなことは言わない方かよい. 標本の収蔵場所の話をしたが,次に自然学習資料センターでの受け入れの話をしよう.

 寄贈を受けた標本はまず通し番号を付けて種名を確定し,整理カードに採集地,採集年月日,採集者名等を記入し,そのデータをパソコンに入力して後からの検索が出来るように整理する.これにかなりの時間と人手がかかる.ボランティアで手伝っていただける方がいると助かる.

 また標本に付けてあるラベルが不完全だと余分な手間がかかる.採集日だけしか書いてないもの.本人はわかっていても他人には分りようがない.本人が亡くなっていればお手上げで,せっかくの標本がゴミ箱行きとなる.また採集当時ははっきりした場所であっても後から分からなくなる場所.○○組飯場とか××作業所とか大体10年くらい経つとなくなっている.採集地は少なくとも市,郡くらいから,外国の場合は国名も書いていただきたい.手書きラベルの場合,数字が分からなくなるものがある.4と9,6と8,7と9など.また年号は西暦に統一し,上二桁を略さず四桁全部書くようにする方が間違いがない. 等々いろいろ書いたが,標本を博物館に寄贈する場合はまずラベルの整備をしていただけると助かる.皆さんが苦労して集めた標本はなんとか長く残せるように,だれでも後から自由に研究できるようにしておくことが必要であろう.

 ちゃっきりむし No.165 (2010年9月30日)

  静岡県富士宮市から10年アメリカ合衆国で昆虫学を学ぶ(T)
                            河原章人

 私が静岡県富士宮市で一年間住んでいた時から約10年が過ぎました.静岡昆虫同好会の皆様には大変お世話になった年でした.今でも日本の蝶を見るとあの頃のことを思い出します.小学校を卒業するまでは日本とアメリカ合衆国で暮らしていましたが,中学からアメリカだけで教育を受けたため,私はかなりアメリカ化されています.当時大学2年生だった私は日本でまた住みたいという思いを抱き始め,通っていたシカゴ大学を一年間休学して富士宮で住むことを決めました.子供の頃,日本で集めた昆虫の標本の整理をしたり,静岡県で昆虫採集をしたりして,将来について模索していました.その時に知り合えた静岡県の昆虫関係者たちに心から感謝しています.皆さんの適切なアドバイスのお陰で私は大学で昆虫学を専攻することを決断しました.あれから10年が過ぎました.これを機に私のアメリカでの昆虫経験のお話をしたいと思います.

 1998-1999年に富士宮市で一年間住んでから,米国ニューヨーク州にあるコーネル大学の昆虫学部で学ぶことになり,大学3年生として入学しました.コーネル大学はニューヨーク市から約400km北西に位置するイサカという小さな町にあります.大学町で有名なイサカは夏休みになると人口が35,000人から1万人までに減ります.冬は寒く,1メートル以上雪が積もることも珍しくありません.コーネル大学の昆虫学部は6階建てのコムストックホール内にあります.地下室をも含む建物の殆どは昆虫の研究のためだけに使われています.コーネル大学で過ごした時間は人生で最も楽しい2年間となりました.テングチョウの分類研究を行いながら,多くの大学院生や教授と昆虫の分類について議論をしたり,系統学問題など様々なことを学びました.昆虫学部の教授と学生は皆,虫を学名で呼ぶのには驚きました.英名は一切使わない環境でした.それまで私は英名か和名しか知らなかったため,必死になって昆虫の学名を暗記しました.

 在学中にジャック・フランクレモント名誉退職教授(1912-2004)とお会いすることができました.博士はコーネル大学昆虫学部で50年以上教鞭を取ったアメリカの代表的な蛾の分類学者でした.そのフランクレモント博士と採集させていただける大変光栄な機会に恵まれました.2001年の夏,大学の近くにある森で夜間採集を博士と植物専門家のロバート・ディリグ氏と3人で行いました.89歳にもなる博士の記憶力と蛾に関する知識には感動しました.あの夜,博士からいただいた言葉を今でも鮮明に覚えています.博士は英語でこう言いました. "Don't forget Akito, butterflies are moths. If you want to work on a group that is very poorly known, study the Microlepidoptera."「河原君,蝶は系統的に見れば蛾だよ.もし謎に包まれたグループを研究したければ,ミクロ蛾を研究しなさい.」次の日,私は早速超小型展翅板を木で作り,ミクロ蛾の分類学と分子系統学を本格的に研究することを決めました.

 海外で蝶と蛾の分子系統学が最も進んでいる研究所といえばフィンランド,ツルク大学のワルバーグ博士の研究グループ(蝶類)とメリーランド大学のミッタ博士の研究グループ(蛾類)でしょう.コーネル大学を卒業後,私はメリーランド大学で博士号を取得することを決めました.大学院で蛾の分類学を専門とする韓国人大学院生,ジェイ・ソンさんと出会いました.彼はスガ科の分類を専門とする方です.彼のぎっしりつまった標本箱を見せてもらい,ミクロ蛾の美しさと不思議さに感動しました.その後スミスソニアン博物館のドナルド・デービス博士にミクロ蛾のことについて相談し,ホソガ科の分子系統を卒業論文のテーマにすることにしました.2003年から2008年にかけて数回デービス博士とソンさんと卒業論文の分子系統のためにコスタリカへホソガを採集しにいきました.2008年にはコスタリカに住む日本人昆虫学者,西田賢司氏の案内でジャングルで2週間ホソガの調査と採集をしました.生まれて初めて新種を数種類発見することができました.

 大学によって法律が多少違いますがアメリカで昆虫学を学ぶ学生はたいてい学生費を払う必要はありません.奨学金または教育助手として研究費が保証されています.私の大学院の先生,チャールズ・ミッタ博士はNational Science Foundation (全米科学財団)から全鱗翅類系統の研究のための寄付金を受け取りました.私もその研究グループのメンバーとして全鱗翅類系統の遺伝子研究に関わりました.2007年にはこの研究によってアフリカのコンゴ民主共和国にミクロ蛾の採集に行くことが出来ました.(つづく)


 ちゃっきりむし No.166 (2010年12月1日)

  静岡県富士宮市から10年アメリカ合衆国で昆虫学を学ぶ(U)
                            河原章人

 7年間通ったメリーランド大学も今年の春,ようやく無事卒業することができました.アメリカ合衆国はとても広く,昆虫学を学べる大学はたくさんあります.現在,米国の大学では生物学部を拡大しつつあります.その一環として,昆虫学部を生物学部に併合するといった傾向が見られます.こうした状況には,別の理由も関わっており,既存の「昆虫学部」が時代遅れと捉えられる傾向にあることにも関連します.しかし,昆虫学部が存在しなくとも,昆虫学研究は存続しています.このように昆虫学部を設けずに,昆虫学研究を行う大学の一つの例としてハワイ大学があります.

 今年の7月から博士研究員としてハワイ大学に入学しました.ダン・ルビノフ博士とハワイ諸島で固有の属カザリバガ科Hyposmocoma の進化について研究することになりました.この属は幼虫期を水中で過ごすことや幼虫がカタツムリなどを食べることで知られています.現在約350種のHyposmocoma が記載されていますが種類数は1000種まで上ると思われています.

 ハワイといえば観光客が多いワイキキビーチなどが有名ですが,人口の少ない山では固有種がたくさんいるので面白いです.ハワイの植物のほとんどが外来種であるということに驚きました.100年ほど前まではゴキブリもアリも蚊もいなく,固有植物にとってはパラダイスでした.今では固有植物を探すためには山奥まで行かなければなりません.7月,ハワイに到着してから数日後,大学時代の昆虫仲間,カール・マニャッカ教授が昆虫採集に誘ってくれました.彼は固有種のコバエ(Drosophila)を採集したかったようです.腐ったキノコとバナナでできた「コバエベイト」をタッパーに入れて持ち運びます.この独特な臭いをするベイトを運びながら射撃所の門を潜って3時間雨の中ハイキング.危険な思いをしながらやっと辿り着いた急崖の森には固有植物がたった2種類ほどしか見つかりませんでした.ホソガの気配は全くなく,彼は2mmほどの長さの小さな固有コバエを2匹だけ採集しました.私はまだ数週間しかハワイに住んでいないので定かではありませんが,ここで固有昆虫を探すのはかなり難しいと感じています.子供のころからの夢であるカメハメハアカタテハの成虫を採集することも大変難しいと地元の昆虫学者から聞いています.私のハワイ大学でのポストドックは一年間の予定です.来年の夏からフロリダ州ゲインズビル市にあるフロリダ大学の自然史博物館に助教授として雇われました.最近建てられたフロリダ大学の自然史博物館について少しお話したいと思います.

 アメリカ合衆国の自然史博物館の中ではニューヨーク市のアメリカ自然史博物館とワシントンのスミソニアン自然史博物館が代表的です.最近,フロリダ州ゲインズビル市に「マグワイア・センター」という蝶と蛾の専門の館がフロリダ大学自然史博物館の一部として開かれました.2004年の設立以降,既に950万頭以上もの所有があり,世界的に最大規模の鱗翅類コレクションを誇る施設の一つという地位を早くも築いています.フロリダ自然史博物館の一部と位置づける当センターは,鱗翅類の研究と公教育を推進しており,現在10名を越える研究者が様々な実験,観察,調査を進めています.更に20名以上の博士研究員や大学院生,大学生と共に研究が行われています.センターのスタッフは研究以外に鱗翅類生物学や昆虫島嶼生物学などの授業を行っています.私はまだ教える経験が少ないですが,来年から大学生向けの「昆虫形態」(Insect Morphology)の授業を受け持つことになりました.

 マグワイア・センターには,蝶と蛾の研究やコレクション所有・管理の為におよそ3600平米の敷地が当てられています.敷地内には,分子系統学,絶滅危惧種保護学,標本準備室などがあります.それぞれの施設には来館者がラボ内を見学することができるように覗き窓が設置されており,中でも標本準備室や,蝶や蛾の標本,写真や映像機器が展示されている全長100m の「ウォール・オブ・ウイングズ」は,人気を博しています.

 当センターにおいて来館者に最も好評なのが,温室の中で様々な蝶の生息を見る事が出来る「バタフライ・レインフォレスト」です.約2000平米の温室の中には,約560種の熱帯植物が育ち,世界各国から集められた1500から2000頭(110種以上)の蝶が自由に羽ばたいています.フロリダ州内を始め,南米やアジア,アフリカなどから蛹の状態でセンターに輸送される様々な品種は,人工的に滝や霧を再現する装置が取り付けられた施設の中で8名の専門家に管理されており,特にモルフォ類や南米のアゲハチョウ類が多く飼育されています.施設内には,蝶の生態をわかりやすく解説するパネルが通路に飾られており,蝶の飛行研究などの催しも数回に渡って行われてきました.年間約10万人もの来館者数を誇るバタフライ・レインフォレストには,地元の蝶を間近で楽しむこともできるバタフライ・ガーデンも隣接しています.入場料は無料です.

 当センターは,これからもコレクションの規模を拡大していくことを目標としており,世界各地から寄せられる寄贈に収集を依存するだけでなく,当施設の研究員が行う生物多様性調査や昆虫採集によって,世界最大規模のコレクションを誇る施設になることが目的です.調査は主に南米で行なわれることが多いが,アフリカやアジア,ヨーロッパなど,世界各地で昆虫採集を続けており,今後は,特に日本やアジアの標本を中心にコレクションの数を増やしていきたいと考えているようです.

 また,特別企画として旅行会社と提携し,一般人向けの昆虫採集や写真撮影ツアーを展開しています.アラスカ,ボリビア,ブラジル,チリ,コスタリカ,エクアドール,ドミニカ共和国,ガラパゴス諸島,グアテマラ,ホンジュラス,マダガスカル,マレーシア,マラウィ,メキシコ,パナマ,パプワニューギニア,ペルー,フィリピン,韓国,ベトナムなどで採集旅行が行われてきた同企画では,参加者が蝶や蛾の採集や撮影を生息環境で経験することができます. ツアーや標本の寄贈については直接ご連絡いただければご案内いたします.私もまた静岡昆虫学会の皆さまと採集できる日を楽しみにしています.

 謝辞
  1998年から1999年にお世話になった静岡昆虫同好会の皆様に感謝の意を述べます.高橋真弓先生,諏訪哲夫氏,清邦彦氏,北條篤史氏,枝恵太郎氏,宇式和輝氏,平野裕一氏と聰子さん,本当にありがとうございました.毎週水曜日に昆虫採集に連れて行ってくださった故小林国彦氏にも心から感謝を申し上げます.本文献にご協力いただいたトーマス・エメル博士,アンドレ・スラコフ氏,アンドリュー・ウオーレン氏,ロバート・ディリグ氏,吉岡沙恵さん,清水美香さんにも感謝いたします.

住所:McGuire Center for Lepidoptera and Biodiversity, Florida Museum of Natural History, Gainesville, FL, 32611, USA
*現住所(2011年9月まで):Department of Plant and Environmental Protection Sciences, University of Hawaii, 3050 Maile Way, Honolulu, HI 96822, USA