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<Webちゃっきりむし 2006年 No.147〜150>

● 目 次
 平井剛夫:竜爪山の頂上にツマグロヒョウモンが舞っていた (No.147)
 鈴木英文:新参者の来た道  (No.148-1)
 私の父親もコアな昆虫オタク (No.148-2)
 細田昭博:今,トンボの桶ケ谷沼は  (No.149)
 高橋真弓:採集の勧めとその限界(1) (No.150)

 ちゃっきりむし No.147 (2006年3月11日)

  竜爪山の頂上にツマグロヒョウモンが舞っていた 平井剛夫

 この四月から静岡市の瀬名に住むことになった.瀬名は竜爪山の麓にあって,竜南地区と呼ばれている.地元の虫屋として山の神に引越しの挨拶をするつもりで竜爪山に登ることにした.

 もう少しで四月も終わろうとした30日,登山口の平山に車を停め,登山ルートをたどることにした.このルートは旧の登山道で,新しい登山道は,もう少し先の別にあるということを登り始めて知った.古い登山道の方が樹種も多いはずだろうと勝手に思い込んでいた.

 おそらく,本番は来年の春ということになるだろうが,静岡で甲虫の採集にはまり込もうとした高校生の頃,珍品カミキリの誉れ高かったヒラヤマコブハナカミキリのポイントの下見もしようという考えがあった.ときすでにこのカミキリの成虫の出現シーズンは終わっているということであった.登山道から砂防ダムを横切りすぐさま杉林に入る.さすが信仰の山,随分年季の入りだ石の道標があるものだなあと息を継ぐ.沢を下にかなり急な傾斜が始まる頃,杉の植林の片側に雑木林が現れる,ふたかかえもあるアカマツが少し株を残して立ち枯れていた.ボロボロになって残っていた樹皮からエグリゴミムシダマシが出てきた.

 ヒラヤマコブハナカミキリの発生するようなウロはないかと登山道の周辺にある穴のあいたアカメガシワやイロハモミジを探したが,ふさわしい大きさのウロがなかなか見つからなかった,ウロウロしているうちにこれなら良さそうなと思えたものを見つけ出し,のぞいてみた.発生木ならカミキリのハネの残骸がウロの下側にあるはずという兄のアドバイスを思い出したが,ハネの残骸すらも見当たらず,耳から入った情報を頼りにする虫探しの難しさを改めて知った.

 久しぶりのまともな山登りに,登山道に踏み込んで直ちにかなりの傾斜の勾配の上りが続いて還暦の身にはこたえる.穂積神社近くのフジらしき枯れ枝をビーティングしたら,ノコギリホソカタムシが落ちてきた.ホソカタムシは甲虫類の分布調査を長年続けてこられている神奈川の平野幸彦さんをしてもっとも甲虫らしい甲虫といわせた仲間である.大きさはとても小さいがここまで凝った形態には脱帽である.これで,少し,元気が出てきた.

 今回の山登りは頂に立つということが本来の目的ではなかったので,神社で手をあわせれば引き返してもいいかなと途中の登りのきつさでかなり軟弱な気持ちになっていた.登山道も新道と旧道とが出会うあたりになると,杉の林からはずれて自然林も出てくるので疲れが薄らいでゆくのが嬉しかった.神社に到着した.

 社殿に参拝をして境内のベンチで遅めの昼食をとっていたら,ひとりの若い登山客が声をかけてきた.「車の鍵ごとトランクに入れてロックしてしまったので,連絡をしたいのでケイタイ電話を貸してもらえませんか」ということであった.そういえば,神社のわきに数台の車が駐車してあった.事態が事態だけに,申し出を引き受けることにした.世間話をしていたら,この若者は虫採りの心得があることに気づいた.「展足」という虫屋でなくては言えない用語で話していたからであった.すでに文殊岳には登ってきたようで,「山の頂上付近は自然林があって虫採りにはよさそうですよ,今日は気温がかなり上がっているので甲虫も飛んでいるのではないですか」といわれて神社から引き返そうとしていた軟弱気分を振り払うことにした.

 頂上付近は天然林ではあったが,こちらが期待したほど豊かな林ではなかった.これはという獲物もなく,木製の桁や金属製の人工的な階段のついた山道を登ってやっと薬師岳にたどりついた.地図ではこの山が竜爪山のようにも記されているが,道標にあるさらに標高は低いが連らなった文殊岳をめざした.いったいどっちが本当の竜爪山なんだろうかなと思ったが,どちらも竜爪山のようである.二つ合わせて竜爪山というのがどうやら正解のようであった.

 文殊岳の山頂のすぐ下にタテハが旋回していた.ツマグロヒョウモンである.少しガレていて足場が悪いが,つなぎ竿を伸ばしてすくってみた.しかし,網の中には入っていなかった.やれやれ逃したワイ,目撃事実だけではどうかなと思いつつ,半ばあきらめていたらまた戻ってきた.今度は竿を十分にのばしてすぐそばまでネットを近づけてからすくった.今度は入っていた.新鮮なオスであった.4月下旬であるからいわゆる新成虫ではなく多くのタテハ類特有の越冬した個体であると思った.五十年前のツマグロヒョウモンのことは静岡昆虫同好会の連絡誌「ちやっきりむし」第139号(2004年)に書いたが,日本平の頂上で採った五十年前には数の少ない珍しい種類であった.今や街中にでもどこにでもいるごく普通の種となっている.瀬名の街の花壇に植えてあったスミレの仲間で育った個体かもしれない.

 農水省に勤務していた頃,研究プロジェクト「長距離移動性害虫の移動予知技術の開発」の課題を九州農業試験場で担当していたが,その折,同じ研究室の渡辺朋也さん達といくつかの課題を共同で進めていた.最近,つくばで彼に会った折「最近はかなり正確にウンカの移動の軌跡をたどることができるようになり,かなり以前の過去の気象図からでも大丈夫です」ということであった.

 十五年も前の当時,彼が中心となって,気象図をもとに風力,風向を読み取り,大陸から日本列島へと飛翔してくるウンカなどの害虫の移動をもたらす,いわゆるローレペルジェットという運搬媒体の有無をコンピュータで描かせるということに成功させたのであった.

 そこで,五十年前,日本平で採集したツマグロヒョウモンの前日か数日か前に,このタテハチョウを運んできた風の動きがなかったか,あればどこからかきたか調べて欲しいとお願いした.しかし,しばらくしてそのツマグロヒョウモンが採集された年の気象のデータが揃っていないため,まだデータペースに入っていないという返事があった.もしもデータが揃っていたら,ひょっとしたらこのヒョウモンの「素性」を知る手がかりを捉えるという夢をかなえることが出来たかも知れなかった.日本平までの長い旅をした先はどこからであったか,どこから風に乗って飛び立ったと考えられるかと思いは海の彼方の向こうに飛んで行ったのである.

 初夏の竜爪山の頂上に舞っていたツマグロヒョウモンはあの五十年前に日本平の草むらを旋回していた末裔であるかもしれない.この日に採集した標本を,日本平の標本を保管してくださっている北条篤史さんに渡した.もしも「ソロモンの指輪」が手に入るなら,五十年ぶりの再会を果たしてどんな会話を交わしているか聞いてみたいものである.

 ちゃっきりむし No.148-1 (2006年5月27日)

  新参者の来た道 鈴木英文

 近年,地球温暖化の影響からか、南方系の蝶の静岡県への侵入が報告されるようになってきた.古くは1955年頃からのクロコノマチョウの大発生、1950年代から60年代にかけては竜爪山や浜石岳などでわずかに採れるだけだったツマグロヒョウモンは1990年代に入ると、急激に個体数を 増やし、普通種になってしまった.

 2000年から多数の記録が報告されるようになったナガサキアゲハは今では所によってはモンキアゲハより普通に見られるようになった.やはり2000年頃から広がったと思われるムラサキツバメは2001年より県下各地から記録が報告され、その後甲府盆地にまで広がっている.

 またカバマダラは1997年頃からほとんど毎年のように採集されている、そしてそのうちの多くが県内で二次、三次的に発生した個体と思われる.

 これらの蝶はどういうルートで飛来したのか、三重県の志摩半島あたりに定着した蝶は数年して静岡県に飛来すると言われている。ナガサキアゲハやムラサキツバメなどがそれで、サツマシジミやイシガケチョウもそうかもしれない。そうすると、これらの成虫の発生する時期に県下への飛来を助けるある期間一定した風が吹くのであろう.

 資料を探したところ,「伊勢湾岸の大気環境」(大和田道雄著、名古屋大学出版会,1994)という本に,「濃尾平野における夏季の日中の風向分布」という図版が載っており,それによると志摩半島方面から伊勢湾口を横断した風は伊良潮岬に上がると風向きを東方向に変え,豊川から新城へ、あるいは豊橋から浜名湖方面に向かう.これならば話が合いそうだ.

 カバマダラについては熊野灘で一時的に発生するようであるから、この風に乗ってくるのか、九州方面から一気に飛来するのか、おそらくその両方があるのだろう.九州方面からの飛来については福田晴夫先生のご研究のように全国的な気圧配置などから考察していかなければならないだろうから、筆者などにはとても不可能であるが.

 上記の風が志摩半島から蝶を運んでくるとすると,次に来るものとして、今年あたりサツマシジミが要調査種として挙げておかなければならない.サツマシジミは過去に1988年井川県民の森、1998年地蔵峠の二記録しか報告されていなかったが,昨年12月御前崎市で1♀が採集された.今までは県中部の山地で両方とも♂の記録だったのが、今回は平地で♀が採集された。今年は志摩半島方面から飛来する個体とともに,昨年秋に飛来した個体の子孫の発生する可能性もある.今後サンゴジュが植えてある民家の近くなどで,白っぽいルリシジミを見かけたら要注意だろう.

 そんなこともあって今年の6月の調査会は御前崎市周辺の調査を企画した.はたしてサツマシジミは採れるだろうか?

 サツマシジミとともにイシガケチョウは来そうで、なかなか来なかったが,昨年やはり御前崎市で記録された.今年あたりから気をつけたほうがよいだろう.

 県下への新参者としては他に天竜川堤防のホソオチョウがあり、またいずれは出るだろうと予想されたアカホシゴマダラは、県下ですでに2ヵ所の発生のうわさを聞いた.当然だれかが放蝶したものと思われる.これらの記録は、記録として報告していかなければならないが,一部で放蝶ゲリ ラなどといわれる行為がはたして良いものかどうか,これから大いに議論しなければならないだろう.

 ちゃっきりむし No.148-2 (2006年5月27日)

  私の父親もコアな昆虫オタク

 北條篤史氏のお嬢さんが本を出し,これが結構売れているようです.以前から「AERA」などに執筆していたそうですが,オタクライクーとして「オタク女子研究」という本を原書房というところから出版しました.もちろん虫の本ではありません.中に一ヵ所「私の父親もコアな昆虫オタク.(中略) 父親の周囲には日本でも屈指の虫オタクたちが生息していますが,(後略)」と出てきます.

 私の父親というのは北條篤史氏であるのは当然としても、その次の日本でも屈指の虫オタクが誰だ!ということがサイゴン会談(静岡市のサイゴンというベトナム料理のレストランで行われた一部幹事の集まり)で議題になりました.その結果,オタクたち,というからには2名以上,日本でも屈 指というところから全国的に名が知られている,との2点からT会長とS先生の二人であろうとの結論になりました.

 なお北條氏は親ばか丸出しで,「買ってやってくれ」,と頼みますので皆さん気が向いたら購入してあげてください.
 あ,著者名はペンネームで、北條ではなく,杉浦由美子氏ですのでご注意ください.

 ちゃっきりむし No.149 (2006年9月10日)

  今,トンボの桶ケ谷沼は 細田昭博

 磐田市桶ケ谷沼にビジターセンターができて3年目になった.桶ケ谷沼ビジターセンターは静岡県の自然環境保全地域にある桶ケ谷沼に生息するベッコウトンボを保護し沼の自然環境を保全するために建設されたものである.磐田市が管理運営を行い,NPO法人桶ケ谷沼を考える会の事務局が同居し,共に保護・保全に取り組んでいる.

 桶ケ谷沼は現在までに67種類のトンボが確認されているトンボの宝庫であるが,湧水量が減少し,ヒシなどの水生植物も見られなくなり,周囲も暗い林になったためか,トンボ類も減ってしまった.トンボの個体数は1992年には1年間に7807頭計数できたものが2001年には513頭にまで減少し,2004年には627頭,2005年は1278頭と少しずつ回復してきているがまだまだ少ない状態が続いている.トンボの種類数も1992年には39種類確認できたものが2001年には28種類にまで減少した.個体数同様少しずつ増え始め,2005年には41種類確認できた.トンボの種類をみると,1992年にはモノサシトンボやキイトトンボ,チョウトンボの個体数が年間各々1500頭以上計数できたものが,2001年にはキイトトンボ12頭,モノサシトンボ38頭,チョウトンボ90頭と激減した.2005年にはキイトトンボ72頭とやや増加したが,モノサシトンボは17頭と少ないままである.これに対してコフキトンボ204頭(1992年には15頭)やコシアキトンボ125頭(1992年は65頭)と増加している.水草に依存しているイトトンボやチョウトンボに代わってコフキトンボやコシアキトンボが増加していることは,沼の水域の変化を示しているといえる.

 桶ケ谷沼のトンボが減少した原因としては水量減少,水質悪化,水面・水中植物の減少,周囲の林が照葉樹林化して暗くなったこと,外来動物が増加したなどが考えられる.水量減少を補うために沼の北側に井戸を掘り,水を補っている.周囲の林が暗いシイ・カシ林となったためにトンボのエサとなる昆虫が減少し,林に降った雨を蒸散させている.暗い林を伐採して明るい林にしていくことで昆虫類の増加と保水を図っている.とはいえ予算不足のため年間1haも伐採できない状態である.約53haの保全地域のどの場所を優先して明るい林にするかを桶ケ谷沼管理運営委員会で話し合いながら進めている.

 1974年の七夕豪雨により沼東側を流れる太田川の堤防が切れて大洪水となり,沼全面に広がっていた浮島状のマコモ群落が沼北側に寄せられ,沼内に開放水面が広がった.沼北側は陸地化してしまい,トンボの産卵場・幼虫の生育地としては適さなくなってしまった.沼の保全活動が野路会によって始まったのはこのころである.当時は沼の埋め立てや周囲の土石採取から沼及びその周囲を守ることで精一杯なため,沼の中や沼周囲の林を考えるまでの余裕はなかった.静岡県が約20億円で買収し自然環境保全地域になったことで,沼の中及び沼の周囲を見直すことができるようになった.トンボの個体数・種類数の変化を調べることで,放置して暗い林になってしまった沼の周囲を明るい林にし,沼に手を付けることの必要性が高まってきた.桶ケ谷沼およびその周辺は自然環境保全地域とはいえ原生自然を保全している場所ではない.昭和の中ごろまで沼の中は水田として利用され,周囲の林は肥料や薪に利用されていた里山である.そこで,保全地域である沼内や林に手をつければトンボは復活するのか1991年から実験をすすめてきた.沼南側のヨシで陸地化した部分を掘って水域を造り復元池とした.また,沼北側の土石採取跡地に池を造り実験池とした.復元池の調査をすすめていった結果,元々沼であっ部分に小水面を復元させただけではトンボは増加しない.小水面と小水面を連結させて水の流れをつくることが必要であること.実験池の調査から池の中を階層構造にすることで多様な水生動物を養うことができることが明らかとなった.2006年4月から5月にかけて実験池からベッコウトンボが羽化した.そこで,沼北側の埋まってしまった水域を掘り戻して小水面を造り,小水面と小水面とを連結させて水の流れをつくること.できた小水面に枝葉を入れて階層構造とし,水質の改善とトンボの生息場所の増加を図ることとした.

 2006年4月に発足した「岩井里山の会」の人たちによって沼北側の復元作業が進められている.「岩井里山の会」は在来動植物にとって住みにくい環境となった桶ケ谷沼を含む里山の今後を心配して地元岩井地区の住民有志が立ち上がったものである.小学生から老人までが会員となり,貴重な動植物と人間との住みよい里山づくりや保全活動を通して地域づくりの場を創出すること,よりよい里山を次世代に継承していくことなどを目的としている.岩井地区の里山を知り尽くした地元の老人は,生活の場であった桶ケ谷沼での活動を子供たちに追体験させ,後世に引き継いでいってもらうことを楽しみにしている.沼北側に造成した復元池に7月には田植えを行った.米の収穫が目的ではなく,イネの生育を見つめることで沼に目をかけ,沼に注目していくことが目的である.沼のイネにキイトトンボやアジアイトトンボが群れ,夕方にはマルタンヤンマが飛び交っている.

 ちゃっきりむし No.150 (2006年月日)

  採集の勧めとその限界(1) 高橋 真弓

 昆虫採集は明治以来続いてきた日本の文化ですが,高度経済成長時代以後の自然環境の荒廃,自然保護運動の広がりを背景に,今その社会的意義を問われています.

 昆虫採集は山菜採りや魚釣りとともに野外での楽しみのひとつですが,種類の正確な同定,標本の製作と保存,記録の発表など,きわだって知的な趣味と言っても言い過ぎではありません.私たちの静岡昆虫同好会はこの知的な昆虫趣味を基礎に成り立っているといえるでしょう.

 それではなぜ採集が必要でしょうか.
 私はかつて,本会の会員でもある岐阜県高山市の西田真也さん,同じく三重県松阪市の中西元男さんのお宅を訪問し,蝶のコレクションを見せていただいたことがあります.

 そこでまず感心したことは,いわゆる普通種にいたるまで,市町村別に丹念に標本が集められ,それらの標本が正確なラベルとともにきちんと整理されていることでした.

 ところで,私たちの静岡昆虫同好会の創立50周年の事業となった「静岡県の蝶類分布目録」が発行されたとき,その編集を担当された諏訪哲夫さんが,いわゆる普通種のデータが著しく貧弱で,地域別に見ると,珍種がほとんどいないとされる南伊豆地方や南遠地方の記録に乏しいことを指摘しておられました.

 オオチャバネセセリは,1960年代ごろまでは静岡県下にわりあい普通に見られた地味なセセリチョウで,静岡市とその周辺では浜石岳に多産し,興津八木間の丘陵,有渡山,はては賤機山などでも見ることができました.しかし,今日ではこれらの地点でこの蝶を見つけることはまず不可能です.

 この蝶は,マスコミの大好きなギフチョウやオオムラサキと違って,あまりにも地味な蝶であったのでほとんど注目されることはありませんでした.里山環境の急激な変化によって,私たちが気のつかないうちに静かに消えてしまったものとみることができます.

 それでは,かつての普通種オオチャバネセセリの標本が静岡県下にどのくらい残されているでしょうか.その数はあまりにも少ないのです.そしてこれはもうとり返しのつかないことなのです.
 このようなことは,これからもおこる可能性があります.ナガサキアゲハやムラサキツバメなど,南方の蝶が急速に分布を広げている一方で,大陸育ちの蝶がいつの間にか消えていく.これは淋しいことです.

 そこで,今日わりあいに普通に見られる蝶についても,西田さんや中西さんのなされたようにしっかりと標本を作ってそれらをたいせつに保存することが必要になってきます.
 さし当たって現在注意を払っておく必要のある種類にはつぎのようなものがあります.

ミヤマセセリ,ミヤマチャバネセセリ,ホソバセセリ,スジボソヤマキチョウ,ツマグロキチョウ,ウラゴマダラシジミ,アカシジミ,ミズイロオナガシジミ,オオミドリシジミ,クモガタヒョウモン,ウラギンヒョウモン,ウラギンスジヒョウモン,サカハチチョウ,アサマイチモンジ,スミナガシ,ヒカゲチョウ,サトキマダラヒカゲ.

 これらは現在ではモンシロチョウやヤマトシジミのような典型的な普通種ではありませんが,今日の静岡県ではレッドデータ・ブックに出てくるような"珍種"でもありません.すでに竹林がはびこっている荒れた里山ではサトキマダラヒカゲの減少が始まっているようです.

 これらの蝶については,ぜひつとめて採集して旧市町村の単位ばかりでなく,環境省発行の都道府県別メッシュ・マップのメッシュ番号単位で標本を作っておきたいものです.もちろん,これらの蝶以上に希少なものについては申すまでもありません.

 また,ツマグロヒョウモン,ナガサキアゲハ,ムラサキツバメのように現在分布を広げつつあるものについては,分布拡大の年代を示す標本をメッシュ番号別に集めておくことが必要となります.

 それではモンシロチョウなど,いわゆる普通種はどうすればよいのでしょうか.これらについては,特別な目的でもない限り,多くの個体を集める必要はなく,旧市町村別に最低の個体数を保存しておけばよいと思います.この場合,旧静岡市のように面積がとくに大きい場合には,かつての安倍六カ村などを参考に分割するのも一つの方法です.

 上に述べたように,私たちは大いに採集してたくさんの標本を作り,これらの標本にこだわり続けなければなりません.標本を軽視しては,ほんとうの自然史の研究は成りたちません.

 今,私たちはNPO"自然史博ネット"で,将来静岡県に自然史博物館を建設するために,動植物,化石,岩石などの標本を集めています.こうした地域の自然史博物館には,その地域のぼう大な標本・資料の蓄積が欠かせません.

 では,むやみに蝶を競争で採りまくってもよいのでしょうか.この問題については採集モラルの問題とともに,次回に考えてみたいと思います.