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<Web ちゃっきりむし 1979年 No.38〜40>

● 目 次
 橋真弓:静岡県周辺の蝶・謎の記録 3―小笠山のヒメヒカゲとイシガケチョウ― (No.38)
 渡辺一雄:静岡県周辺の蝶・謎の記録 4―白いベニシジミ― (No.39)
 橋真弓:静岡県周辺の蝶・謎の記録 5―玄岳のオオウラギンヒョウモン― (No.40)

 ちゃっきりむし No.38(1979年3月1日)

  静岡県周辺の蝶・謎の記録 3
    ―小笠山のヒメヒカゲとイシガケチョウ― 橋真弓

 1950年,浜松市に遠州昆虫同好会が結成され,会誌「遠州昆虫」が創刊された.この会誌は,1960年にNo.7が発行されたまま,その後休刊となっている.この「遠州昆虫」2(1/2)の採集地案内には,小笠山のヒメヒカゲとイシガケチョウについての記述がある.それによれば,小笠山の神社から山本,法多方面におりる谷間の日当りのよい湿地にヒメヒカゲとハッチョウトンボを産するという.また掛川西高校の生徒の提出した採集品中にイシガケチョウが1頭発見されており,詳しい採集地や日付も不明だが,採集場所は小笠山近傍と推定されているとのことである.この号が発行されたのは1953年9月であるから,上記のことは,当然それ以前のことを意味しているわけである.

 私は1956年6月10日,豊島義輝氏とともに,ヒメヒカゲを目的に,この小笠山の山間部の湿地を調査した.山道の周辺にはいくつかの小さな湿地があり,ここにはノハナショウブの花が咲き,ヒメヒカゲの食草となる葉の細いスゲ類が群生するのが見られた.しかし、かなり入念な調査にもかかわらず,ヒメヒカゲもハッチョウトンボも発見することができなかった.この日は,法多に近いところにおびただしいテングチョウの群れが見られ,地上の水たまりに群集するのを見ることができた.

 第2回目は,12年後の1968年6月12日,こんどは単独で,前回と同じ地域を調査した.道幅は広がり,環境ははるかに悪くなっており,ヒメヒカゲやハッチョウトンボの発見は望むべくもなかった.

 静岡県におけるヒメヒカゲの分布は,三方原台地周辺部と磐田原台地の一部に狭く限られていることが知られている.小笠山はこれらの産地からあまりにも離れすぎているようにみえる.しかし,ヒメヒカゲの生息する湿地に生えるモウセンゴケ(食虫植物)の分布がさらに東方の藤枝市や清水市有度山の一部にも及んでいるので,現在小笠山にヒメヒカゲが生息していないからといって,かつて分布していたということを否定するわけにはいかないだろう.「開発」が加速度的に進んでいる今日,静岡県下の昆虫分布をいっそう正確に記録しておく必要のあることをあらためて痛感しているしだいである.

 なお,イシガケチョウについては,この山には食樹のイヌビワが多く,しかも全般的に蝶の分布調査が不十分なので,今後留意する必要があるように思われる.

 ちゃっきりむし No.39(1979年6月30日)

  静岡県周辺の蝶・謎の記録 4
    ―白いベニシジミ― 渡辺一雄

 私が「蝶と蛾」Vol.20,No.3/4に,ベニシジミの白化型と題して発表したのは1969年のことである.この蝶は1949年3月31日に浜松市都田町で採取されたものである.

 三方原台地から引佐の平地へ移るところどころに谷間がある.ことに祝田の長い坂は,かつて徒歩者や自転車ではなんぎの場所であった.この坂に平行して,2フィート8インチの軌道の上を蒸気機関車が日に何本かゆうちゅうに走っていた.大雨の日はスリップするので砂袋を積んでいたことを記憶している.この奥山線もとうの昔に廃止された.この辺ぴな場所が脚光を浴びたのは,ギフチョウの発生地とわかってからである.昭和6年頃ではなかったろうか.この蝶以外に目立った昆虫がいなかったので,3月下旬から4月中旬頃までは白いネットの花が咲くほどにぎわったが,それ以外の季節には訪れる人はほとんどなかった.もっともこの地のギフチョウは十数年前に絶滅してしまったが.

 線路沿いにはスイバが極めて多く,ベニシジミの可憐な姿で春の幕があく.本種は和名のように翅表が橙赤色であるが,雄の中には黄褐色や部分的に色彩の濃淡のある,いろいろの程度の個体があることはご存知の通りである.それらの蝶にまじって銀色に輝く白化した個体が稀に発見された.それが雄に限られ,雌や第1化の蝶以外では見つかっていない.あるとき,白化型について白水隆先生にご意見を聞いたことがある.そのような場所では,雌や1化以外にも白化型発見の望みがあるといわれたが,私の調査不十分なこともあって,見つけてはいない.鉄道の廃止や近くにできた産業廃棄物の処理場を往復する車も増え,土手上もスイバやハルリンドウにかわってススキなどの禾本科植物におおわれ,ベニシジミもすっかり減ってしまった.野外でもう一度,シルバーカラーに輝くベニシジミを見たいものである.

 ちゃっきりむし No.40(1979年9月30日)

  静岡県周辺の蝶・謎の記録 5
    ―玄岳のオオウラギンヒョウモン― 橋真弓

 私が中学の1年生であった1947年のことであった.当時の家の近所に住んでおられた湯浅謙氏(当時旧制中学の3年生)が熱海市の玄岳で多数のヒョウモンチョウ類を採集してこられた.日付は,もし私の記憶にまちがいがなければ,7月28日であった.もっとも多く採集されたのがウラギンスジヒョウモン,ついでオオウラギンスジヒョウモンだったと思う.当時の私は,まだヒョウモンチョウ類を自分の手で採集したことがなかったので,これらの蝶は大変な珍品に見えたものである.とくに今でも強く印象に残っているのは,1頭のオオウラギンヒョウモンの♀が入っていたことである.完全無欠の見事な個体であった.

 玄岳を中心とした尾根すじは草原がよく保存され,ヒョウモンチョウ類の多いところである.私は大学4年の1956年7月22日に函南側からこの山に登り,このオオウラギンヒョウモンを主目的に草原地帯を歩いた.ウラギンスジヒョウモン,クロシジミ,ヒメウラナミジャノメ,ジャノメチョウ,コキマダラセセリを採集したが,ついにオオウラギンヒョウモンを発見することができなかった.さらに1958年9月14日,こんどは熱海峠から玄岳頂上を経て函南側におりるコースを調査したが,このときも問題の蝶を発見することができなかった.

 玄岳付近でオオウラギンヒョウモンが確実に採集されているのは伊東市大室山で,ここでは1959年10月10日に熱海市の抱井澄氏によって多数が採集されその記録は駿河の昆虫No.81に発表されている.そしてこれがこの蝶の静岡県における唯一の確実な記録として知られている.採集者の抱井氏はその後数回にわたり同地を調査しておられるが,この蝶はまったく発見されていない.  オオウラギンヒョウモンは全国的にも個体数の少ない蝶で,各地でその個体数が急激に減少しているといわれている.今日,この蝶が静岡県に生き残っているかぜひ確めておきたいものである.ことに伊豆半島北部の玄岳から巣雲山を経て大室山にかけての草原を詳しく調査する必要があると思う.